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世をわぶるなみだ流れてはやくとも
あまの川にはさやはなるべき

歌の意味
世をつらく思う涙が流れて速いとしても、天の川に、そうたやすくなってよいものだろうか。
鑑賞
103 あまの川

 平中が色好みの盛りに市に出向いた。当時は身分のある人も市に出かけて恋を求めたのである。そこに后に仕える婦人たちがいたので、平中は熱烈に言い寄った。文を書いて言い寄ると、車に乗っている女は何人もいるのに、この手紙の女は誰を指すのか、と尋ねさせたので、平中の返事に「ももしきのたもとの数は見しかどもわきて思ひの色ぞ恋しき」とあった。相手は武蔵の守の娘で、濃い緋色のかいねりを着ていたのである。これによって娘は返事をし、平中と恋仲になった。ところが一夜を共にした翌朝になっても、夜になっても音沙汰がない。五日六日と過ぎ、女は泣いてばかりで何も食べず、ついに長い髪を掻き切って自ら尼になってしまった。平中の側には、翌朝から役所の長官に連れ回され、亭子院の供で大井川へ行き、方塞がりで別の方角へ泊まるという事情が重なっていた。ようやく手紙を出そうとしていたところへ、女の家の召使いが訪ねてきて、切った髪を包んだ手紙を渡した。そこには「あまの川空なるものと聞きしかどわが目のまへのなみだなりけり」とあった。平中は目の前が真っ暗になり「世をわぶるなみだ流れてはやくともあまの川にはさやはなるべき」と返して、自ら女のもとへ出向いた。女は塗籠に籠もっており、声だけでも聞かせてくれと言っても返事すらない。平中はこれを世にいみじきことにしたという。以上が段の全体である。
 平中は平定文のこと。色好みで知られた人物で、四十六段と六十四段にも登場する。相手の女は武蔵の守の娘で、后に仕えていた。塗籠は明かり取りと扉だけの、納屋のような部屋である。
 場面は、平中が女の手紙と切った髪を受け取ったところである。
 詠出の直接の契機は、女から届いた「あまの川空なるものと聞きしかどわが目のまへのなみだなりけり」と、そこに包まれていた髪である。
 平中はこの歌を返し、驚きあきれて何も言えない、ともかく自分で出向くと書き添えて、女のもとへ向かった。だが女は塗籠に籠もり、返事すらしなかった。段はその顛末で閉じられる。

 「世をわぶる」は、世をつらく思う、の意である。相手が世を捨てたことを受けて、その原因である嘆きを言葉にしている。
 「なみだ流れてはやくとも」は、涙が流れて速いとしても、の意である。相手が涙を天の川に見立てたのを受け、川の流れの速さとして言い直している。
 「あまの川にはさやはなるべき」の「あま」は、相手と同じく天と尼とを掛ける。「さやは〜べき」は反語で、そうなってよいものか、いやよくない、と言う。
 涙が川になるほど流れたとしても、尼になるのはあまりに早すぎる、という筋である。相手の掛詞をそのまま用いて意味を返す型で、この作品の贈答歌に繰り返し見られる。ただしこの返しののち、女は塗籠に籠もったまま応じなかった。

世をわぶ(上二段動詞)——世をつらく思う。世を厭う。
なみだ——涙。
はやし——速い。
あま——「天」と「尼」との掛詞。
さやは〜べき——そうであってよいものか、いやよくない。反語を表す。
塗籠(ぬりごめ)——明かり取りと扉だけの、納屋のような部屋。
出典
大和物語
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