かりそめに君がふし見し常夏の
ねもかれにしをいかで咲きけむ
- 歌の意味
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かりそめにあなたが臥して眺めた常夏の、根も枯れてしまったのに、どうして咲いていたのだろう。
- 鑑賞
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108 とこなつ
南院の今君と呼ばれる女性は、右京の大夫の役職にある源宗于の娘である。太政大臣の娘である内侍の監の君にお仕えしていた。そこに兵衛の監の君が、あや君と呼ばれていたころ、彼女の部屋にしばしば通っていたが、やがて来ることがなくなってしまったので、常夏の枯れたことに掛けて詠んだ歌である。地の文はこれだけで、段はこの一首をもって閉じられる。
源宗于は光孝天皇の孫にあたり、三十六歌仙の一人に数えられる歌人で、三十段から三十二段、三十四段、三十九段、六十三段、八十段に登場する。詠み手はその娘で、続く百九段と百十段にも登場する。内侍の監の君は太政大臣の娘である。兵衛の監の君は兵衛府の官職にあった人である。
場面は南院の今君の部屋である。常夏が枯れる時期にあたる。
詠出の直接の契機は、通ってきていた相手が来なくなり、常夏が枯れたことである。
段はこの一首で終わり、相手の返しも後日のことも語られない。三十段から三十四段が源宗于を中心に置くのに対し、この段から百十段までは、その娘の歌が三段続けて並べられている。
「かりそめに」は、一時的に、ほんのしばらく、の意である。逢瀬の軽さを、まず自ら言っておく。
「君がふし見し常夏」の「ふし」は、臥すことと、草の節とを兼ねる。相手が臥して眺めた常夏、という景と、草の節とが重なる。常夏は撫子の別名で、床の意を含む「とこ」から共寝を連想させる語でもある。
「ねもかれにしを」の「ね」に、草の根と、寝ることの「寝」とが掛かる。「かれ」に、枯れることと、離れることの「離れ」とが掛かる。根が枯れることと、共寝が絶えることとが、この一語で一つになる。
結句の「いかで咲きけむ」は、どうして咲いていたのだろう、という過去の推量である。根が枯れているのに花が咲いていたのは不思議だ、という理屈で、通いが絶えたのに思いだけが残っていることを述べている。
南院——邸の名。
右京の大夫(かみ)——右京職の長官。
内侍(ないし)の監(かん)の君——太政大臣の娘。
兵衛の監(かん)の君——兵衛府の官職にあった人。
かりそめなり(形容動詞)——一時的である。ほんのしばらくである。
ふし——「臥し」と草の「節」との掛詞。
常夏(とこなつ)——撫子の別名。「床」を響かせる。
ね——「根」と「寝」との掛詞。
かる——「枯る」と「離る」との掛詞。
- 出典
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大和物語
- その他の歌
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