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この世にはかくてもやみぬわかれ路の
淵瀬をたれに問ひてわたらむ

歌の意味
この世ではこうして終わってしまった。あの世の別れ路の淵瀬を、誰に尋ねて渡ればよいのだろう。
鑑賞
111 わかれ路の淵瀬

 大膳職の長官である橘公平の娘たちは、あがたの井戸と呼ばれるところに住んでいた。そのうち長女にあたる人は、后の宮のもとに少将の御という通り名で仕えていた。三女にあたる人は、今の備後の国の守である源信明が、まだ若かったころ、はじめての恋人にしたのだった。やがて二人の関係が終わりを迎え、男が通ってこなくなったときに詠み贈ったのがこの歌である。地の文はこれだけで、段はこの一首をもって閉じられる。
 橘公平は大膳職の長官を務めた人で、その娘たちはあがたの井戸と呼ばれる所に住んでいた。長女は后の宮に少将の御という名で仕えた。三女は源信明が若いころ初めての恋人にした人で、百十一段から百十三段、および百十六段に歌が見える。源信明は備後の守を務めた人である。
 場面の時期や場所は明示されない。示されているのは、二人の仲が終わり、男が通ってこなくなったという経緯だけである。
 詠出の直接の契機は、その通いの絶えたことである。歌は源信明のもとへ贈られた。
 段はこの一首で終わり、男の返しも後日のことも語られない。百十六段では、この三女とみられる人が死に際に歌を詠んでおり、この歌の内容と呼応する。

 「この世にはかくてもやみぬ」は、この世ではこうして終わってしまった、の意である。「この世」と置くことで、次に来るあの世が用意される。
 「わかれ路」は、死者が向かう道のことである。この世で終わったことを述べたうえで、死後の道へ話を移す。
 「淵瀬」は川の深い所と浅い所で、十段でも世の移り変わりの意で用いられている。ここでは三途の川を指す。
 結句の「たれに問ひてわたらむ」は、誰に尋ねて渡ろうか、の意である。死後、はじめての恋人に手を引かれて三途の川を渡るという俗信が前提にある。はじめての相手であるあなたに導かれるはずだったのに、それが叶わなくなった、という筋になる。別れの歌でありながら、この世の別れではなく、死後の渡河を問題にしている。

大膳職(だいぜんしょく)——宮内省に属し、饗宴の食事を整える役所。
あがたの井戸——橘公平の娘たちが住んでいた所。
后の宮——皇后。中宮。
備後(びんご)の国——現在の広島県東部にあたる。
わかれ路——死者が向かう道。
淵瀬(ふちせ)——川の深い所と浅い所。ここは三途の川。
やむ(四段動詞)——終わる。それきりになる。
わたる(四段動詞)——川を越える。
出典
大和物語
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