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あかでのみ経ればなるべしあはぬ夜も
あふ夜も人をあはれとぞ思ふ

歌の意味
飽き足りないままに過ごしているからだろう。逢わない夜も逢う夜も、お前をいとしいと思う。
鑑賞
134 あかでのみ

 先の醍醐天皇の時、宮中のある部屋に可愛らしい少女がいた。それを帝が見止めて、ひそかにお呼びになった。このことを誰にも知られないように、時々お呼びになるのだった。そうして詠まれたのがこの歌である。これを差し上げると、少女の心にもとても深い思いに感じられたので、我慢できないで友達に、こんな風におっしゃってくださったの、と話してしまったら、少女の主人にあたる御息所の耳に入って、少女を追い出してしまったらしい。ひどいことであった。
 醍醐天皇は百三十一段から続けて登場する。少女については、宮中のある部屋にいた可愛らしい少女という以外、地の文に記載がない。御息所はその少女が仕えていた主人にあたる。
 場面は宮中である。人目を忍んだ関係が続いていた時期にあたる。
 詠出の直接の契機は地の文に記されない。示されているのは、そうして詠まれた、ということだけである。
 少女はこの歌に深く感じ入り、友達に漏らしてしまった。それが御息所の耳に入り、少女は追い出されてしまった。段は、ひどいことであった、という語り手の一言で閉じられる。

 「あかでのみ経れば」は、飽き足りないままに過ごしているから、の意である。「あく」は満ち足りる意で、それを打ち消している。「のみ」の限定が、ずっとその状態であることを示す。
 「なるべし」は、そうであるからだろう、という推量である。以下の心情の理由を、先に述べる形になる。
 「あはぬ夜もあふ夜も」は、逢わない夜も逢う夜も、の意である。両方を並べることで、逢っても逢わなくても変わらないことを示す。
 結句の「人をあはれとぞ思ふ」は、お前をいとしく思う、の意である。「ぞ」の係りが「思ふ」で結ばれる。逢瀬があってもなくても思いが変わらないという言い方で、帝から少女に向けられた歌になっている。この歌の深さが、かえって少女を口に出させ、身を失わせる結果につながっている。

先の帝——先代の帝。ここでは醍醐天皇。
御曹司(みざうし)——宮中の部屋。
召す(四段動詞)——お呼びになる。
あく(四段動詞)——満ち足りる。十分になる。
のみ——〜ばかり。限定を表す。
経(ふ)——時を過ごす。
あはれ——いとしい。しみじみと心を動かされること。
御息所(みやすんどころ)——天皇の寵を受けた女性の呼び名。
出典
大和物語
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