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かりにのみ来る君待つとふりいでつつ
なくしが山は秋ぞかなしき

歌の意味
仮にばかり来るあなたを待つと、声を振り出しては鳴く、その志賀山は、秋こそ悲しい。
鑑賞
137 なくしが山

 志賀の山越を越える道にあるいはえという所に、今は亡き兵部卿の宮が別荘をたいそう立派にお建てになって、時々いらっしゃった。こっそりここにいらして、志賀寺に詣でる女たちを眺めていることもあった。あたりの様子もすばらしく、家もとてもすばらしいものだった。としこが志賀寺に詣でるついでにこの家に立ち寄って、景観と別荘を眺めて感じ入り、書き記したのがこの歌である。
 としこは藤原千兼の妻で、三段、九段、四十一段、六十六段から六十八段、百二十二段にも登場する。兵部卿の宮は兵部省の長官を務めた親王で、九十段、百六段、百七段にも現れ、続く百三十九段と百四十段にも登場する。志賀寺は近江の国にあった寺で、百二十二段でもとしこが詣でている。
 場面は志賀の山越の道にある、いはえの別荘である。としこが志賀寺への道すがら立ち寄った。歌に秋が詠まれていることから、秋のことと知れる。
 詠出の直接の契機は、その別荘とあたりの景色を眺めて感じ入ったことである。歌は書き記す形で残された。
 段はこの一首で終わり、宮の反応も後日のことも語られない。この歌は新勅撰集に収められている。

 「かりにのみ来る」の「かり」に、狩と、かりそめとが掛かる。狩のときだけ来ることと、一時的にしか来ないこととが重なる。宮がこの別荘に時々しか来ないことを指す。
 「君待つと」は、あなたを待つといって、の意である。待つ主体は次の鹿へ移っていく。
 「ふりいでつつなく」は、声を振り出して鳴く、の意である。百二十七段でも檜垣の御が「ふりいづる」を用いており、鹿の鳴き声に結びつく語である。
 結句の「なくしが山は秋ぞかなしき」の「しが山」は志賀山であるが、直前の「なく」から「鳴く鹿」の音が響く。「秋」には飽きが掛かる。仮にしか来ない人を待って鳴く鹿と、飽きられた身とが重なり、宮を待つ心と、亡き宮を偲ぶ心との両方に読める一首になっている。

志賀(しが)の山越——志賀寺へ越えていく山道。
いはえ——志賀の山越の道にある地名。
兵部卿の宮——兵部省の長官を務める親王。
志賀寺(しがでら)——近江の国にあった寺。
かり——「狩」と「かりそめ」との掛詞。
ふりいづ(下二段動詞)——声を振り出す。声を上げる。
なく——「鳴く」と「泣く」とを重ねる。
秋(あき)——秋。「飽き」を響かせる。
出典
大和物語
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