忘れなむと思ふ心の悲しきは
憂きも憂からぬものにぞありける
- 歌の意味
-
忘れてしまおうと思う心の悲しさは、つらいことさえつらくなくしてしまうものであった。
- 鑑賞
-
143 憂きも憂からぬ
むかし、在中将の息子である在次の君という人に妻があった。その女は山蔭の中納言の姪にあたり、五条の御と呼ばれていた。在次の君は、自分の妹で伊勢守の妻となっている人のところに出向いていたが、その五条の御は伊勢守の召人であったのを、在次の君はひそかに五条の御のもとに通っているのだった。ところが自分だけだと思っていると、在次の君の兄弟にあたる人もまたこの五条の御のもとに通っているらしい。それで女に詠んだのがこの歌である。今となってはみな昔の話である、と地の文は結ぶ。
在中将は在原業平で、在次の君はその子の在原滋春である。山蔭の中納言は藤原山蔭で、五条の御はその姪にあたる。伊勢守は在次の君の妹の夫である。召人は使用人でありながら情を通じた者をいう。
場面の時期や場所は明示されない。示されているのは、五条の御をめぐる複雑な関係だけである。
詠出の直接の契機は、自分のほかに兄弟もその女のもとへ通っていると知ったことである。歌は女に詠まれた。
段はこの一首で終わり、女の返しも後日のことも語られない。この歌は新勅撰集に収められている。
「忘れなむと思ふ心」は、忘れてしまおうと思う心、の意である。「なむ」が強い意志を表す。
「悲しきは」で、その心の悲しさを主語に据える。忘れようとすること自体が悲しい、という筋になる。
「憂きも憂からぬものにぞありける」は、つらいこともつらくないものであった、の意である。「ぞ」の係りが「ける」で結ばれる。「うき」に、憂しと、浮きとが響くとも読める。
忘れようとする悲しさが大きすぎて、それに比べれば他のつらさはつらくなくなる、という比較の形になっている。兄弟も同じ女に通っているという込み入った事情を一言も述べず、忘れようとする心の一点だけを詠んでおり、地の文が最後に、みな昔の話であると結ぶことで、その事情は過去へ収められる。
在中将——在原業平のこと。
在次の君——在原滋春のこと。業平の子。
山蔭の中納言——藤原山蔭のこと。
召人(めしうど)——使用人でありながら情を通じた者。
なむ——〜てしまおう。強い意志を表す。
憂し——つらい。やるせない。
ぞ〜ける——係り結び。強調を表す。
古ごと——昔のこと。過去の出来事。
- 出典
-
大和物語
- その他の歌
-