猿沢の池もつらしなわぎもこが
玉藻かづかば水ぞひなまし
- 歌の意味
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猿沢の池も薄情なことだ。あの子が玉藻をかぶって沈んだのなら、水も涸れてしまえばよかったのに。
- 鑑賞
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150 猿沢の池
昔、奈良の帝に仕えていた采女があった。顔も姿もすばらしく美しく、男たちが求婚し貴族たちも求婚してもなびかなかった。その理由は、帝を限りなく愛しい者と思っていたからである。あるとき帝が彼女をお召しになった。けれどもその後は続けて召さなかったので、限りなく悲しい思いに彼女は囚われたのだった。昼も夜も心にかけて忘れられず、恋しさとわびしさにさいなまれるのだった。帝はお召しになったとはいえ特別な事とも思われなかった様子。さすがにつねに帝の顔を見ないわけにはいかなかったので、彼女はこの世に生きていられない気持ちがして、夜ひそかに抜け出して猿沢の池に身を投げてしまった。このように身投げをしてからも帝はお気づきにさえならなかったものを、話のついでにある人が申し上げたのでようやくお聞きになった。たいへん哀れに思われて猿沢の池のほとりに行幸なされて、そこで人々に歌を詠ませるのだった。その時、柿本人麻呂が「わぎもこがねくたれ髪を猿沢の池の玉藻と見るぞかなしき」と詠んだので、帝が「猿沢の池もつらしなわぎもこが玉藻かづかば水ぞひなまし」と詠んで、墓を作らせてお帰りになられたそうである。以上が段の全体である。
奈良の帝は奈良の都の帝である。采女は地方から出て宮中の供膳に仕えた女官をいう。猿沢の池は奈良の興福寺のかたわらにある池である。柿本人麻呂は万葉集の代表的な歌人である。なお十四段では、この猿沢の池の玉藻を踏まえた歌が詠まれている。
場面は同じ猿沢の池のほとりである。
詠出の直接の契機は、柿本人麻呂の詠んだ「わぎもこがねくたれ髪を猿沢の池の玉藻と見るぞかなしき」である。帝がそれに応じて詠んでいる。
帝はこの歌を詠んで墓を作らせ、お帰りになった。段はその一文で閉じられる。
「猿沢の池もつらしな」は、猿沢の池も薄情なことだ、の意である。「な」が詠嘆を表す。池を人のように扱い、その冷淡さを責める形になる。
「わぎもこが玉藻かづかば」は、あの子が玉藻をかぶって沈んだのなら、という仮定である。「かづく」は水に潜ることをいう。人麻呂の使った「わぎもこ」と「玉藻」を、そのまま受け取っている。
結句の「水ぞひなまし」の「ひ」は、水が涸れることをいう。「ぞ」の係りが「まし」で結ばれる。人が沈んだのなら水も涸れて助けるべきだった、という表の筋のほかに、悲しみのあまり涙が尽きて涸れるべきだったのに、なみなみと水をたたえている、という含みがある。
池を責める形をとりながら、その池は、彼女の思いに気づかず、死んでも人に聞くまで知らなかった帝自身の姿でもある。自らを責める言葉として読めるところに、この一首の深さがある。
猿沢(さるさは)の池——奈良の興福寺のかたわらにある池。
つらし——薄情だ。冷淡だ。
な——〜だなあ。詠嘆を表す。
わぎもこ——「わが妹子」。親しい女性を呼ぶ語。
玉藻——美しい藻をほめていう語。
かづく(四段動詞)——水に潜る。かぶる。
ひる(上一段動詞)——水が涸れる。乾く。
ぞ〜まし——係り結び。事実に反する仮定を表す。
- 出典
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大和物語
- その他の歌
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