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ながるともなにとか見えむ手に取りて
引きけむ人ぞ幣と知るらむ

歌の意味
流れていっても、何と見えるだろうか。手に取って引いた人こそが、それを幣と知っているのだろう。
鑑賞
160 大幣

 同じ染殿の内侍のもとへ在中将こと在原業平が通っていたとき、内侍から在中将のもとに「秋萩を色どる風の吹きぬれば人のこころもうたがはれけり」と詠んだので、在中将は「秋の野を色どる風は吹きぬともこころはかれじ草葉ならねば」と答えた。やがて通わなくなってから、在中将のもとから着物が届けられて、洗ってくれる人すら居なくて困っています、どうかお願いします、とあったので、染殿の内侍は、あなたの心によってそうなったんじゃないのかしら、と言って「大幣になりぬる人の悲しきはよるせともなくしかぞなくなる」と言ってやった。すると中将の返しに「ながるともなにとか見えむ手に取りて引きけむ人ぞ幣と知るらむ」とあった。以上が段の全体である。
 在中将は在原業平で、六歌仙の一人に数えられる歌人である。百四十三段と百四十四段では、その子の在原滋春が登場する。染殿の内侍は前の百五十九段にも登場する女官である。大幣は祓に用いる大きな幣で、多くの人が手を触れて撫でたのち川に流すものである。
 場面は同じく、内侍から歌が届けられたところである。
 詠出の直接の契機は、内侍から届いた「大幣になりぬる人の悲しきはよるせともなくしかぞなくなる」である。大幣になぞらえられたことに応じている。
 この返歌をもって百六十段は閉じられる。地の文には歌の評もなく、四首の贈答だけで段が成り立っている。

 「ながるとも」は、流れていっても、の意である。「とも」が仮定の逆接である。相手が大幣を川に流されるものとして詠んだのを、そのまま受け取っている。
 「なにとか見えむ」は、何と見えるだろうか、という疑問である。流れているものを見ただけでは、それが何か分からない、という筋になる。
 「手に取りて引きけむ人」は、手に取って引いた人である。祓の際に幣を手にした者を指す。
 結句の「幣と知るらむ」は、それを幣と知っているのだろう、という推量である。「ぞ」の係りが「らむ」で結ばれる。大幣だと知っているのは、それを手に取った当人だけだ、という言い方で、自分を大幣と呼ぶあなたこそがその手を触れた者ではないか、と切り返している。相手の持ち出した比喩をそのまま用いて向きを変える型で、この作品の贈答歌に繰り返し見られる。

ながる(下二段動詞)——流れる。
とも——たとえ〜としても。仮定の逆接。
なにと——何と。何であると。
引く(四段動詞)——引き寄せる。手に取る。
けむ——〜たのだろう。過去の推量。
幣(ぬさ)——祓に用いる幣。
らむ——〜しているのだろう。現在の推量。
ぞ〜らむ——係り結び。強調を表す。
出典
大和物語
その他の歌