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大原や小塩の山も今日こそは
神代のことを思ひ出づらめ

歌の意味
大原の小塩の山も、今日こそは神代のことを思い出しているだろう。
鑑賞
161 ひじき物

 在中将が、二条の后宮がまだ帝にもお仕えにならず、ただ人でいらっしゃったころに求婚し申し上げたとき、ひじきという物を寄こして「思ひあらばむぐらの宿に寝もしなむひじき物には袖をしつつも」と申し上げた。この返しは人が忘れてしまった。さて后の宮が春宮の女御と申し上げるころ、大原野に参詣なさった。御供に上達部や殿上人がたいそう多くお仕えした。在中将もお仕えしていた。御車のあたりに、まだ薄暗いころに立っていた。御社で、大方の人々が禄を賜わったのちのことである。御車の後ろから、着ておられた御単衣の御衣をかづけさせなさった。在中将が賜わるあいだに「大原や小塩の山も今日こそは神代のことを思ひ出づらめ」と忍びやかに言った。后の宮は昔を思い出されて、興あることとお思いになった。以上が段の全体である。
 在中将は在原業平で、六歌仙の一人に数えられる歌人である。百四十三段と百四十四段ではその子の在原滋春が登場し、百六十段では染殿の内侍と歌をやりとりしている。二条の后宮は藤原高子で、のちに清和天皇の女御となった。大原野は大原野神社のある地で、藤原氏ゆかりの社である。
 場面は大原野である。二条の后宮が春宮の女御として参詣なさり、業平も御供に加わって、まだ薄暗いころ御車のあたりに立っていた。
 詠出の直接の契機は、御車の後ろから御単衣の御衣をかづけられたことである。業平はそれを賜わるあいだに、忍びやかにこの歌を口にした。
 后の宮は昔を思い出されて、興あることとお思いになった。段はその一文で閉じられる。この歌は古今集に収められている。

 「大原や小塩の山」は大原野神社のある地とその山である。藤原氏ゆかりの社で、参詣の場そのものを指す。
 「今日こそは」の「こそ」の係りが結句の「らめ」で結ばれる。今日という日に限って、と強く限定する。
 「神代のこと」は、神々の時代の出来事である。表向きは、この社の祭神が昔を思い出すだろう、という祝いの言葉になる。
 だが裏には、まだただ人であったころの二人のことを、后の宮も思い出しておられるだろう、という意が重なる。「神代」に、遠い昔という含みが働く。かつてひじきの歌を交わした相手が、今は春宮の女御として参詣し、自分は御供の一人として衣を賜わる。その落差を、忍びやかに一言だけ述べた一首である。

大原(おほはら)——大原野。大原野神社のある地。
小塩(をしほ)の山——大原野にある山。
春宮(とうぐう)の女御——皇太子の妃。
かづく(下二段動詞)——衣を肩にかけて与える。
神代(かみよ)——神々の時代。転じて遠い昔。
忍びやかなり(形容動詞)——ひそやかである。
こそ〜らめ——係り結び。強い推量を表す。
出典
大和物語
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