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見ずもあらず見もせぬ人の恋しきは
あやなく今日やながめ暮らさむ

歌の意味
見ないでもなく、見たわけでもない人が恋しいのは、わけもなく今日は物思いに暮れることになるのだろうか。
鑑賞
166 よしある車

 在中将が物見に出て、女の趣ある車のもとに立った。下簾のはさまから、この女の顔をたいそうよく見たのだった。言葉なども交わした。どちらも帰って、朝に詠んでやったのが「見ずもあらず見もせぬ人の恋しきはあやなく今日やながめ暮らさむ」である。すると女の返しに「見も見ずもたれと知りてか恋ひらるるおぼつかなみの今日のながめや」とあった。これらは物語であって、世にあることどもである、と地の文は結ぶ。
 在中将は在原業平で、百六十一段から百六十四段まで続けて登場し、百六十五段ではその臨終が語られる。物見は祭などの見物である。下簾は牛車の簾の内側に垂らす布で、乗る人の姿を隠すものである。相手の女については、地の文に記載がない。
 場面は物見の場である。業平が女の車のもとに立ち、下簾のはさまから顔を見て、言葉を交わした。
 詠出の直接の契機は、その別れの翌朝である。歌は女のもとへ詠み送られた。
 女はこれに返しを詠み、贈答をもって段は閉じられる。地の文は最後に、これらは物語であって世にあることどもである、と記す。この歌は古今集に収められている。

 「見ずもあらず見もせぬ」は、見ないでもなく、見たわけでもない、の意である。同じ語を打消の形で二度重ね、見たとも見ないとも言えない状態を表す。下簾の隙間から垣間見たという場面が、そのままこの言い方になっている。
 「人の恋しきは」で、その相手が恋しいことを述べる。はっきり見ていないのに恋しい、という筋が用意される。
 「あやなく」は、わけもなく、筋の通らないことに、の意である。恋しくなる理由が自分でも分からないことを言う。
 結句の「ながめ暮らさむ」は、物思いに暮れて一日を過ごすだろう、の意である。「ながむ」は物思いにふけりながら眺めることをいう。見たとも見ないとも言えないという一点だけで組み立てた一首で、垣間見という場面そのものが歌の形になっている。

在中将(ざいちゅうじょう)——在原業平のこと。
物見(ものみ)——祭などの見物。
下簾(したすだれ)——牛車の簾の内側に垂らす布。
はさま——すきま。
あやなし——わけもない。筋が通らない。
ながむ(下二段動詞)——物思いにふけりながら眺める。
暮らす(四段動詞)——一日を過ごす。
出典
大和物語
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