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青柳の糸ならねども春風の
吹けばかたよるわが身なりけり

歌の意味
青柳の糸ではないけれど、春風が吹けば片方に寄ってしまうわが身であった。
鑑賞
170 かたよるわが身

 伊衡の宰相が中将でいらしたとき、故式部卿の宮の別当をお務めになっていたので、常に参上して馴れ親しみ、御たちの人々とも語らっておられた。その君が内裏から退出なさるままに、風にあたって患いなさった。見舞いに、薬の酒や肴などを調えて、兵衛の命婦がお贈りになった。その返事に、たいそううれしいお見舞いです、あきれたことに、こんな病もつくものでした、といって「青柳の糸ならねども春風の吹けばかたよるわが身なりけり」とあった。すると兵衛の命婦の返しに「いささめに吹く風にやはなびくべき野分すぐしし君にやはあらぬ」とあった。以上が段の全体である。
 伊衡の宰相は藤原伊衡で、参議に至った人である。中将は近衛府の次官にあたる。故式部卿の宮は式部省の長官を務めた親王で、別当はその家政をつかさどる役である。兵衛の命婦は兵衛にちなむ呼び名を持つ女官である。
 場面は伊衡が病に臥していたところである。内裏から退出するままに風にあたって患ったのだった。春風が詠まれていることから、春のことと知れる。
 詠出の直接の契機は、兵衛の命婦が薬の酒や肴を調えて贈ってきたことである。歌はその返事に添えられた。
 兵衛の命婦はこれに返しを詠み、贈答をもって段は閉じられる。

 「青柳の糸」は、柳の細く垂れた枝を糸に見立てた言い方である。三段の柳の歌にも見える。
 「ならねども」は、〜ではないけれど、の意である。柳ではないのに柳のようだ、という言い方になる。
 「春風の吹けばかたよる」の「かぜ」に、風と、風邪とが響く。春風が吹くことと、風邪をひいたこととが重なる。「かたよる」は片方に寄ることで、柳が風になびく姿と、病んで体が傾く姿とが一つになる。
 結句の「わが身なりけり」は、わが身であったのだ、という気づきである。風にあたって患ったという事情を、柳が風になびく景に置き換えて述べており、見舞いへの礼を病状の報告と兼ねる形になっている。この「かたよる」が次の返歌で突かれる。

伊衡(これひら)の宰相——藤原伊衡。参議に至った人。
中将——近衛府の次官。
別当(べったう)——家政をつかさどる役。
兵衛の命婦(ひやうゑのみやうぶ)——兵衛にちなむ呼び名を持つ女官。
青柳の糸——柳の細く垂れた枝を糸に見立てた言い方。
かぜ——「風」と「風邪」とを響かせる。
かたよる(四段動詞)——片方に寄る。傾く。
なりけり——〜であったのだなあ。気づきを表す。
出典
大和物語
その他の歌