古典和歌stream

ささら浪まもなく岸を洗ふめり
なぎさ清くは君とまれとか

歌の意味
さざ波が絶え間なく岸を洗っているようだ。渚が清らかであれば、君よとどまれということだろうか。
鑑賞
172 ささら浪

 亭子の帝が石山に常に参詣なさった。国の司が、民が疲れ国が滅びてしまいそうだと嘆いていると聞こし召して、他の国々の御庄などに仰せごとを賜わったので、そこから運ばせて御まうけをお務めして参詣なさった。近江守は、どのように聞こし召したのだろうかと嘆き恐れ、また、まったくこのまま過ごし申し上げてよいものかと思って、お帰りになる打出の浜に、世の常ならぬみごとな仮屋どもを作り、菊の花の美しいのを植えて御まうけをお務めしたのだった。国の守も恐れ入ってほかに隠れており、ただ黒主だけを据え置いていた。おいでになり通り過ぎるほどに、殿上人が、黒主はどうしてそうして控えているのか、と問うた。院も御車をおさえさせなさって、なにゆえここにいるのか、とお問わせになったので、人々が問うたところ、黒主が申したのがこの歌である。これに感じ入られてお泊まりになり、人々に物を賜わってお帰りになった。
 亭子の帝は宇多天皇で、一段と二段にも登場する。石山は近江の石山寺である。近江守は近江国の国司の長官で、打出の浜は琵琶湖のほとりの地である。黒主は大友黒主で、六歌仙の一人に数えられる歌人である。
 場面は打出の浜である。近江守が仮屋を作り菊を植えて設けを整え、自らは隠れて黒主だけを置いていた。
 詠出の直接の契機は、なにゆえここにいるのか、という院のお問いである。
 院はこの歌に感じ入って泊まり、人々に物を賜わって帰られた。歌一首が行幸を留めた形で段が閉じられる。

 「ささら浪」は細かに立つさざ波である。琵琶湖のほとりの景を、まず置く。
 「まもなく岸を洗ふめり」は、絶え間なく岸を洗っているようだ、の意である。「めり」が目に見えることによる推定を表す。波が繰り返し寄せる情景になる。
 「なぎさ清くは」は、渚が清らかであれば、の意である。波が洗うから渚が清いという理屈が置かれる。
 結句の「君とまれとか」は、君よとどまれということか、という問いである。波が岸を洗い清めているのは、あなたにここへ留まれということなのだろう、という筋になる。なぜここにいるのかと問われて、自分の事情を述べず、目の前の波の景色だけで答えており、しかもそれが引き留めの言葉になっている。国司が恐れて隠れた場に一人残された者の、即興の応答である。

亭子の帝——宇多天皇。
石山(いしやま)——近江の石山寺。
国の司(つかさ)——国司。地方の長官。
御庄(みしゃう)——皇室や貴族の荘園。
御まうけ——もてなしの用意。
打出(うちいで)の浜——琵琶湖のほとりの地。
黒主(くろぬし)——大友黒主。六歌仙の一人。
ささら浪——細かに立つさざ波。
なぎさ——渚。波打ち際。
出典
大和物語
その他の歌