和歌の浦にかきとゞめたるもしほぐさ
これをむかしのかたみとも見よ
- 歌の意味
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和歌の浦でかき集めてとどめておいた藻塩草。これを、亡き昔の人の形見とも思って見なさい。
- 鑑賞
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第三段 別れの贈答歌
亡き夫藤原為家から譲られた播磨国細川荘の相続をめぐって、阿仏尼は為家の嫡子為氏と争い、都での訴えが通らなかったため、鎌倉幕府に直訴することを決意する。『十六夜日記』の旅立ちの支度をととのえながら見まわすと、目を離さずにいた間でさえ荒れまさっていた庭も籬も、留守にすればなおさらだろうと思われ、慕わしげな人々の袖の涙も慰めきれない。中でも侍従と大夫がひたすらに沈みこんでいるさまが心苦しく、あれこれ言いきかせたうえで寝屋の内を見ると、昔の人の枕が昔のままに変わらず残っている。そこから、枕のかたわらに書きつけた歌、代々書きおかれた歌の草子に奥書をして侍従へ送るときの歌、それに答える侍従の歌、大夫が手習に書きつけた歌とそれへの返し、山から出立を見に来た律師の歌、道の案内として同行する阿闍梨の君の歌、女院に出仕する一人娘へ書き送った歌とその返しへと、別れの贈答が続いていく。阿仏尼はこれらを「いつゝの子どもの歌、のこりなく書きつゞけぬる」と記し、親の心にはあわれに思われるままに書き集めたのだと断ったうえで、そうばかり心弱くてはいけないと振り捨てて旅立つ。
阿仏尼は藤原為家の側室で、為相
為守らの母。為家は御子左家の歌人で、藤原定家の子にあたる。侍従は阿仏尼の子の冷泉為相で、のちに冷泉家の祖となる人であり、このとき数えで十七歳。大夫はその弟の為守で、数えで十五歳にあたる。律師は原文に「侍從の兄」とある出家した子で、原文の注記は源承とする。阿闍梨の君は山伏で、原文に「この人々よりは兄なり」とあり、注記は慶融とする。女子は一人だけで、原文に「この近きほどの女院」とある御所に出仕しており、注記は新陽明門院とする。阿仏尼はこの五人をまとめて「いつゝの子ども」と呼んでいる。
弘安二年(一二七九)十月、京を発つ前後の都の自邸でのできごと。寝屋の枕に歌を書きつけたのに続く場面にあたる。
代々書きおかれてきた歌の草子に奥書をして、いいかげんでないものだけを選びととのえ、侍従のもとへ送るにあたって書き添えた二首のうちの一首である。
侍従からの返事はたいそう早く届き、「つひによもあだにはならじもしほぐさかたみをみよの跡にのこせば」と返された。その返しが大人びていたので、阿仏尼は心やすくもしみじみと思い、亡き人に聞かせたくてまた涙にくれる。
歌の草子を子に譲る場面の一首で、『十六夜日記』の歌の家という主題がもっとも直接に出る。初句の「和歌の浦」は紀伊の歌枕でありながら、そのまま和歌の道そのものを言い、家の名にも通う。第二句「かきとゞめたる」は、文字を書き留めるという意と、藻塩草をかき集めるという意とを掛け、「浦」「もしほぐさ」と縁語で連なる。第三句「もしほぐさ」は塩を焼くために渚でかき集める海藻で、書き集められた歌の草子の比喩として据えられ、体言でいったん歌を区切る。第四句「これを」の「これ」は現に送りつつある草子そのものを指し、比喩から実物へと引き戻す働きをする。結句「かたみとも見よ」の「見よ」は命令形で、単なる願いではなく、歌道の家を継ぐべき子への言いつけの調子を帯びる。「むかし」は亡き為家の世を指し、直前の「とゞめおくふるき枕のちりをだにわが立ちさらばたれかはらはむ」の「ふるき」と響き合っている。
和歌の浦(わかのうら):紀伊国の歌枕。和歌の道の意を掛けて用いる。
かきとゞめたる(かきとどめたる):書き留めた、の意に、掻き集めたの意を掛ける。
もしほぐさ(藻塩草):塩を焼くためにかき集める海藻。書き集めた歌稿のたとえ。
かたみ(形見):亡き人をしのぶよすがとなる品。
草子(さうし):紙を綴じた冊子。ここでは歌を書きとめた冊子。
奥書(おくがき):書物の末尾に由来や伝来などを書き記したもの。
- 作者
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阿仏尼
- 出典
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十六夜日記
- その他の歌
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