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さだめなき命は知らぬたびなれど
またあふ坂とたのめてぞゆく

歌の意味
定めない命がどうなるかもわからない旅ではあるけれど、また逢坂だと、また逢えると頼みにして行く。
鑑賞
第四段 出発、近江路―粟田口より醒が井まで

 別れの贈答をつれなく振り捨てて、阿仏尼はいよいよ都を離れる。『十六夜日記』の旅はここから始まり、粟田口という所で車を帰し、以後は馬と徒歩の道となる。ほどなく逢坂の関を越え、次いで野路にさしかかると、来し方も行く先も人影がなく、日は暮れかかって、いかにも物悲しいと思うところへ時雨までが降りそそぐ。この夜は鏡という所まで行き着くつもりと定めていたが、すっかり暮れて行き着けず、守山という所にとどまる。ここにも時雨がなお慕うように降ってきた。今日は十六日の夜であった、と記して、たいそう苦しくて横になる。月の光がまだかすかに残る明け方に守山を出て行き、野洲川を渡るころ、先立って行く旅人の駒の足音ばかりがはっきりと聞こえて、霧がたいそう深い。十七日の夜は小野の宿という所にとどまり、月が出て、山の峰に立ち続く松の木の間が見分けられていかにも趣深い。ここも夜深い霧の迷いの中をたどり出て、醒が井という湧き水にいたる。夏であればそのまま通り過ぎることがあろうかと思うのに、徒歩で行く人はやはり立ち寄って汲んでいる。

 この段の歌はいずれも阿仏尼の独詠で、贈答の相手はいない。阿仏尼は藤原為家の側室で、為相
為守らの母。都には、侍従(冷泉為相)、大夫(為守)、女院に出仕する女子らを残してきている。同行者としては、このたびの道しるべとして送り申し上げようと出で立った阿闍梨の君(原文の注記に慶融とある)がおり、ほかに供の人々や、徒歩で行く人がいる。粟田口で車を帰しているので、ここから先は乗り物を降りた旅になる。

 弘安二年(一二七九)十月十六日、都を発ったその日。山城と近江の境にある逢坂の関で、粟田口で車を帰した直後の場面にあたる。

 粟田口で車を帰し、ほどなく逢坂の関を越えるところで詠まれた、旅に出てからの最初の一首である。

 独詠であり、応じる者はない。地の文はこのあと野路の場面へ移り、人影のない道と時雨が続いて、旅の心細さが重ねられていく。

 『十六夜日記』の道中の歌はこの一首から始まる。初句「さだめなき」は無常であるさまをいい、第二句「命は知らぬ」にかかって、この先わが命がどうなるかもわからない、という不安を最初に置く。第三句「たびなれど」の「ど」は逆接の接続助詞で、上の不安を認めたうえで下の願いへ転じる働きをする。第四句「またあふ坂」は、地名の「逢坂」に「また逢ふ」を掛けた掛詞で、この関を、別れの場所としてではなく再会の場所として読みかえている。「たのめてぞゆく」の「ぞ」は係助詞で、結びの「ゆく」が連体形となる係り結び。頼みにするという心をいったん強めたうえで、「ゆく」という動きの語で結び、立ち止まらずに進んでいく姿勢を示す。前段で大夫に書き送った「つくづくと空なながめそこひしくば道とほくともはやかへりこむ」の「はやかへりこむ」を、こんどは自分自身に向けて言い直した形にもなっている。

あふ坂(逢坂):山城と近江の境の関。「逢ふ」を掛けて詠まれる歌枕。
たのむ(頼む):あてにする、頼りにする。
粟田口(あはたぐち):京の東の出入口にあたる地。東国へ向かう者を見送る場所。
作者
阿仏尼
出典
十六夜日記
その他の歌