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かりの世のゆきゝと見るもはかなしや
身をうき舟を浮橋にして

歌の意味
仮のこの世の行き来と見るのもはかないことよ。わが身を憂い、浮く舟を浮橋にして渡っていくとは。
鑑賞
第五段 美濃路―藤川より洲俣川まで

 『十六夜日記』の旅は近江路を抜けて美濃国に入る。十八日、関の藤川を渡るところで、阿仏尼はまず思い続けて一首を詠む。不破の関屋の板庇は、今も変わらずにあった。関のあたりから空を暗くして降り出した雨は、時雨どころではなく一日中降り続けたので、道もたいそう悪くなり、思いのほかに、まだ暮れきらないうちに笠縫の駅という所に泊まる。十九日、またここを出て行く。夜どおし降った雨のせいで、平野とかいう所のあたりは道がひどく悪く、人が通れそうにもないので、水田の面をそのまま渡って行く。夜が明けるにつれて雨はやんだ。昼ごろ、通り過ぎる道に目立つ社がある。人に尋ねると、結の神と申し上げるということなので、その神に向けて一首を詠む。洲俣とかいう川には、舟を並べて、真拆の綱であろうか、それでつなぎとめた浮橋がある。たいそう危ういけれども渡る。この川は堤の側がとても深く、片側は浅いので、そこで二首を思い続けたのだった。

 阿仏尼は藤原為家の側室で、為相
為守らの母。播磨国細川荘の相続をめぐる訴えのため、京から鎌倉へ下る途中である。同行するのは、別れの贈答歌の段に出た道の案内役の山伏、阿闍梨の君と供の人々。この段の六首もすべて阿仏尼ひとりの詠であり、贈答の相手はない。ただし最初の一首は、都に残してきた子ども、すなわち侍従の為相と大夫の為守を思って詠まれている。

 弘安二年(一二七九)十月十九日、美濃国の洲俣という川を、舟を並べてつないだ浮橋で渡るところ。美濃路の最後の場面にあたる。

 洲俣の川には、舟を並べて真拆の綱であろうか、それでつなぎとめた浮橋がかかっており、たいそう危ういけれども渡った。その川のありさまを見て思い続けた二首のうちの二首目である。

 独詠で返しはない。地の文は「とぞ思ひつゞけゝる」とこの二首を受け、さらに一の宮という社を過ぎるところから、翌二十日の尾張路へ移っていく。

 危うい浮橋を渡るという一事を、そのまま無常の述懐に転じた一首で、美濃路を締めくくる。初句「かりの世の」は、仮そめのこの世の意。第二句「ゆきゝと見るも」は、橋の上を行き交う人の往来を、そのまま人の世の行き来と見なす言い方で、目の前の景から一気に人の世へ視野が広がる。第三句「はかなしや」の「や」は詠嘆の間投助詞で、ここで歌をいったん切り、下の句に理由を置く。第四句「身をうき舟を」の「うき」は、水に浮くの「浮き」と、つらいの意の「憂き」とを掛けた掛詞で、「身を憂し」と「浮舟」とが一語に重なる。結句「浮橋にして」は、舟を並べて橋とした実際のありさまをいうと同時に、「うき」の音を繰り返して、頼りない足もとの感じを引き延ばす。「舟」「橋」「浮く」は水にまつわる縁語。近江路を閉じた「むすぶ手ににごるこゝろをすゝぎなばうき世の夢やさめが井の水」の「うき世」がここで「かりの世」と言いかえられており、国を越えるたびに無常の述懐で一区切りをつける形が見てとれる。なお異本には結句までを「身をうき舟の浮橋にして」とするものもある。

かりの世(仮の世):仮そめのこの世。無常な現世。
ゆきゝ(行き来):行ったり来たりすること、往来。
浮橋(うきはし):舟や筏を並べてつなぎ、その上を渡れるようにした橋。
まさきのつな(真拆の綱):つる草を綯ってつくった綱。
作者
阿仏尼
出典
十六夜日記
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