さゝがにのくもであやふき八橋を
ゆふぐれかけて渡りぬるかな
- 歌の意味
-
蜘蛛の手のように危うく分かれた八橋を、夕暮れにかけて渡ってしまったことよ。
- 鑑賞
-
第七段 三河路―二村山より渡津まで
『十六夜日記』の旅は鳴海潟と都鳥の浦を過ぎて三河路に入る。二村山を越えて行くと、山も野もたいそう遠く、日もすっかり暮れてしまった。八橋に泊まろうという。暗くて橋も見えなくなってしまった。二十一日、八橋を出て行くと、たいそうよく晴れている。山の遠い原野を分けて行く。昼ごろになって、紅葉のたいそう多い山に向かって行く。風の当たらないところどころは、朽葉色に染め変わっていた。常磐木なども立ちまじって、青地の錦を見るような心地がする。人に尋ねると、宮路の山だという。この山までは昔見たような気がするうえに、季節までも同じなので、そこでもう一首を詠む。山の裾野の竹のある所に、茅屋がひとつ見えて、どうやって、何をたよりにこうして住んでいるのだろうと思われる。日はすっかり入って、まだ物の見分けもつかないころに、渡津とかいう所に泊まった。
阿仏尼は藤原為家の側室で、為相
為守らの母。播磨国細川荘の相続をめぐる訴えのため、京から鎌倉へ下る途中である。同行するのは道の案内役の山伏、阿闍梨の君と供の人々。この段の五首もすべて阿仏尼ひとりの詠であり、贈答の相手はない。なお宮路山の歌には、昔この山を越えたことがあると詠まれており、のちの駿河路の記事には、昔、父の朝臣に誘われて遠江の国までは見たことがあると記されている。
弘安二年(一二七九)十月二十日の日暮れ、三河国の八橋。この夜の泊まりにあたる。
八橋に泊まろうという話になったが、暗くなって橋も見えなくなってしまった。その折の一首である。
独詠で返しはない。地の文は「廿一日、八橋を出でゝ行くに、いとよく晴れたり」と続き、明けて宮路山へ向かう。
「くもで」は伊勢物語第九段を踏まえた語である。同段には、三河国八橋という所は、川の水が蜘蛛手に分かれて流れているので橋を八つ渡してあり、それでその名がついたのだと記され、かきつばたを詠み込んだ歌の場面として名高い。
名高い八橋を、暗さと足もとの危うさだけで詠んだ一首。初句「さゝがに」は蜘蛛のことで、「くも」を導く語として置かれる。第二句「くもであやふき」の「くもで」は、蜘蛛の足のように八方へ分かれた形をいう語で、伊勢物語が八橋の名の由来として記した語をそのまま用いており、「ささがに」と「くもで」は縁語として連なる。第三句「八橋を」は土地の名を据え、蜘蛛手に分かれた橋の数がそのまま名になっているという成り立ちを、歌の中で示す形になる。第四句「ゆふぐれかけて」の「かけて」は、橋を懸けるという意と、夕暮れの時分にかけて、という時間の言い方とを掛けた掛詞で、「橋」「かく」は縁語。結句「渡りぬるかな」は完了の助動詞「ぬ」に詠嘆の「かな」を添えた形で、危ういところを渡り終えてしまったという安堵とも驚きともつかない気持ちを残す。伊勢物語の八橋がかきつばたと結びつくのに対し、こちらは季節も暮れ方も違い、橋の危うさだけを取っているところに、実際に通り過ぎた旅人の目がある。
さゝがに(笹蟹):蜘蛛のこと。「くも」を導く。
くもで(蜘蛛手):蜘蛛の足のように八方へ分かれている形。
八橋(やつはし):三河国の地名。伊勢物語第九段で名高い歌枕。
- 作者
-
阿仏尼
- 出典
-
十六夜日記
- その他の歌
-