おのづからつたへしあともあるものを
神は知るらむしき島の道
- 歌の意味
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おのずと伝えてきた跡も確かにあるのだから、神はご存じであろう、この敷島の道を。
- 鑑賞
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第十段 伊豆路―伊豆の国府より湯坂まで
『十六夜日記』の旅は田子の浦を過ぎて伊豆路に入る。伊豆の国府という所に泊まる。まだ夕日の残るうちに、三島の明神へ参るというので、詠んで三首を奉る。二十八日、伊豆の国府を出て箱根路にかかる。まだ夜が深かった。足柄山は道が遠いというので、箱根路にかかったのであった。たいそう険しい山を下る。人の足も止まりにくい。湯坂というそうである。ようやく越えきったところ、また麓に早川という河があり、ほんとうに流れが早い。木が多く流れるのを、どうしたことかと尋ねると、海人の塩木を浦へ出そうとして流すのだという。湯坂から浦へ出て、日が暮れかかるのに泊まるべき所は遠い。伊豆の大島まで見渡される海辺を、ここは何というのかと尋ねるけれども、知っている人もいない。海人の家ばかりがある。
阿仏尼は藤原為家の側室で、為相
為守らの母。播磨国細川荘の相続をめぐる訴えのため、京から鎌倉へ下る途中である。同行するのは道の案内役の山伏、阿闍梨の君と供の人々。この段の七首もすべて阿仏尼ひとりの詠であり、贈答の相手はない。うち三首は伊豆の三島の明神に奉った奉納の歌で、尾張路で熱田の宮に四首を奉ったのと対をなしている。
弘安二年(一二七九)十月二十七日の夕方、伊豆の三島の明神の神前。
三島の明神に参って詠み奉った三首のうちの二首目である。
神前に奉った歌であるから返しはない。この訴えは、のちに鎌倉から都の人々と歌を贈答し続ける記事へも通じ、日記の末尾に置かれる長歌でも、代々書きとどめてきた筆の跡をもって理を問うという同じ姿勢が繰り返される。
歌の家の相続を、神の前で正面から言い立てた一首で、この段の三首の中心にあたる。初句「おのづから」は、ひとりでに、当然のなりゆきとして、の意で、伝わってきたことが人為ではないことを含ませる。第二句「つたへしあと」の「あと」は書き残されたもの、すなわち代々の歌稿と筆跡をいい、別れの贈答歌で子に託した「和歌の浦にかきとゞめたるもしほぐさこれをむかしのかたみとも見よ」の「あと」と同じ語である。第三句「あるものを」の「ものを」は逆接の余情を残す接続助詞で、確かにあるのに、という含みを下へ送る。第四句「神は知るらむ」の「らむ」は現在推量で、人は知らなくとも神は知っておられるだろう、という言い方になり、地の文がこの旅を、鎌倉の裁きに訴える道として語ってきたことと重なる。結句「しき島の道」は和歌の道をいう語で、体言止めによって、守られるべきものの名を最後に据えて終わる。尾張路の「鳴海がた和歌のうら風へだてずばおなじこゝろに神もうくらむ」でも歌の道が神に託されていたが、あちらが歌を受け取ってくれるかという願いであったのに対し、こちらは道の正しさそのものを神に証してもらおうとしている。
あと(跡):書き残されたもの、筆跡や歌稿。
しき島の道(敷島の道):和歌の道。「敷島」は大和の国の異称。
体言止め:歌の末尾を名詞で終える技法。余情を残す。
- 作者
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阿仏尼
- 出典
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十六夜日記
- その他の歌
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