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立ちはなれ世もうき浪はかけもせじ
むかしの人のおなじ世ならば

歌の意味
都を立ち離れて、世も憂いというその憂き波を、身にかけることもなかっただろう。昔の人が同じ世に生きていたならば。
鑑賞
第十一段 相模路―酒匂より鎌倉へ

 『十六夜日記』の旅は伊豆路を抜けて相模路に入り、この段で都から鎌倉までの道中の記が閉じられる。鞠子河という河を、たいそう暗い中をたどって渡る。今宵は酒匂という所に泊まる。明日は鎌倉へ入るはずだという。二十九日、酒匂を出て、浜路をはるばると行く。明けはなれてゆく海辺に、たいそう細い月が出た。渚に寄せては返す波の上に霧が立って、たくさんいた釣り舟が見えなくなってしまった。都が遠く隔たりきってしまったのも、やはり夢のような心地がする。こうして三首を詠み、東国で住む所は月影の谷というのだという記事へ続いて、道中の記は終わる。

 阿仏尼は藤原為家の側室で、為相
為守らの母。播磨国細川荘の相続をめぐる訴えのため、京から鎌倉へ下ってきた。同行するのは道の案内役の山伏、阿闍梨の君と供の人々。この段の三首もすべて阿仏尼ひとりの詠であり、贈答の相手はない。十月十六日に都を出てから十四日目、鎌倉へ入る当日の歌にあたる。最後の一首にいう「むかしの人」は亡き夫の為家を指し、日記では別れの贈答歌の場面でも同じ呼び方が用いられている。

 弘安二年(一二七九)十月二十九日、相模国の浜路。都から鎌倉までの道中の記を閉じる一首にあたる。

 都が遠く隔たりきってしまったことも、やはり夢のような心地がして詠んだ一首である。

 独詠で返しはない。地の文はこののち、東国で住む所は月影の谷というのだと記して道中の記を終え、以後は鎌倉滞在中の贈答の記事に移る。

 道中の記の最後に置かれ、この旅がそもそもなぜ生じたのかを一首で言い切る歌。初句「立ちはなれ」は都を離れることで、この日記が「つれなく振りすてつ」と書き起こした出発と呼応する。第二句「世もうき浪は」の「うき」は、つらいという意の「憂き」と、水に浮くという意の「浮き」とを掛けた掛詞で、美濃路の「かりの世のゆきゝと見るもはかなしや身をうき舟を浮橋にして」、遠江路の「水のあわのうき世にわたるほどを見よはや瀨の小舟竿もやすめず」と同じ掛け方が、海辺の景の中で三度目に用いられている。第三句「かけもせじ」の「かく」は、波が身にかかる意と、心にかける意とを重ね、「じ」は打ち消し推量。別れの贈答歌で律師が「あだにのみ淚はかけじ旅ごろもこゝろのゆきて立ちかへるほど」と詠んだ「かけじ」が、旅の終わりでもう一度用いられていることになる。第四句「むかしの人の」は亡き為家を指す言い方で、寝屋の枕を詠んだ「とゞめおくふるき枕のちりをだにわが立ちさらばたれかはらはむ」の場面から一貫している。結句「おなじ世ならば」は仮定条件で、その人が生きていさえすればこの旅はなかったという、事実に反する想定を最後に置き、下に続くべき言葉を省いて終わる。序に述べられた訴えの経緯が、ここで一つの嘆きに畳み込まれ、道中十四日の記が閉じられる。

かく(掛く):波が身にかかる意と、心にかける意とを重ねる。
むかしの人:亡き人。ここでは亡き夫の藤原為家を指す。
作者
阿仏尼
出典
十六夜日記
その他の歌