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はるばると思ひこそやれたび衣
なみだしぐるゝほどやいかにと

歌の意味
はるばると思いやることだ。旅衣が涙に時雨れるほどは、いかばかりであろうかと。
鑑賞
第十三段 為子
為兼との贈答

 『十六夜日記』の鎌倉滞在の記事は、都からの便りを次々に受け取る形で進んでいく。前の右兵衛督の御むすめは歌を詠む人で、勅撰集にもたびたび入っておられる。大宮院の権中納言と申し上げるその人が、歌のことで朝夕親しく申し交わしていたからであろうか、道中の心もとなさなどを尋ねてこられた文に、一首が添えてあった。阿仏尼はそれに返事をする。続いて、この人の兄弟である為兼の君も、同じように心もとなさなどを書いて一首を寄せてきたので、それにも返しをする。都から送られた二首と、それぞれへの返しの二首、合わせて四首がここに並ぶ。

 阿仏尼は藤原為家の側室で、為相
為守らの母。鎌倉の月影の谷に住んでいる。権中納言は、原文に「さきのうひやうゑのかみ」とある為教の娘で、大宮院に仕え、勅撰集にもたびたび歌の入っている人。為教は為家の子で為氏の弟、為相の異母兄にあたるから、権中納言と為兼とは、阿仏尼の亡き夫である為家の孫にあたる。為兼は権中納言の兄弟で、原文には「せうと」とある。大宮院は後嵯峨天皇の中宮。権中納言はこののちも阿仏尼ともっとも多く歌をやりとりする相手となる。

 弘安二年(一二七九)の冬、都から鎌倉の月影の谷へ届いた文の中の歌である。

 歌のことで朝夕親しく申し交わしていたからであろうか、権中納言が道中の心もとなさなどを尋ねてこられた、その文に添えられていた一首である。

 阿仏尼はすぐに返事をする。この人とはこののちも歌のやりとりが続き、春の贈答、瘧病の折の贈答、時鳥をめぐる贈答を経て、日記の終わり近くの「あづまぢの空なつかしきかたみだに忍ぶなみだにくもる月かげ」まで、もっとも多くの歌を交わす相手となる。

 遠く離れた相手の身を案じる、見舞いの歌の型がそのまま出た一首。初句「はるばると」は距離の遠さをあらわす副詞で、別れの贈答歌で大夫が「はるばるとゆくさき遠く慕はれていかにそなたの空をながめむ」と詠み、三河路でも「はるばると二村山をゆき過ぎてなほすゑたどる野べのゆふやみ」と用いられた語であり、都に残る側からも同じ語で東国が思いやられている。第二句「思ひこそやれ」は係助詞「こそ」と已然形「やれ」による係り結びで、思いやるという行為そのものを強く言い止める。第三句「たび衣」は旅の装いで、この日記を通じて旅する人を言いあらわす語として繰り返されてきた。第四句「なみだしぐるゝ」は、涙が時雨のように降ることをいい、宇津の山からの文への御返しであった「たびごろもなみだをそへてうつの山しぐれぬひまもさぞしぐるらむ」と同じく、涙を時雨の語で受けとめる言い方をしている。結句「ほどやいかにと」の「や」は疑問の係助詞、「と」は引用の格助詞で、この一句が第二句の「思ひやれ」に返る倒置になっており、問いを問いのまま相手に投げかけて終わる。

おもひやる(思ひ遣る):遠くにいる人の身の上を思う。
たび衣(旅衣):旅の装束。
しぐる(時雨る):時雨が降る。ここは涙を流す意に転じて用いる。
ほど(程):ありさま、程度。
出典
十六夜日記
その他の歌