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もろともにめかり鹽やく浦ならば
なかなか袖になみはかけじを

歌の意味
一緒に海松布を刈り塩を焼く浦であったなら、かえって袖に波をかけることもないだろうに。
鑑賞
第十五段 姉妹との贈答

 暁に都への便があると聞いて、阿仏尼は夜どおし起きたまま、都へ送る文をいくつも書く。その中で、とりわけ隔てなく、しみじみと頼りにし合っている姉君には、幼い人々のことをさまざまに書き送る。書いているうちに、いつもの浪風が激しく聞こえてくるので、ただ今あるままのことを書きつけた。また同じように、故郷では恋しく偲んでいる妹の尼上にも文を差し上げるというので、磯物などの端々を少しばかり包み集めて、一首を添える。しばらく経って、この姉妹二人からの返事が届き、たいそうしみじみと思って見る。姉君の歌が一首あり、この姉君は中院の中将と申した人の北の方である。今は三位入道とかいうそうだ。同じ世にいながらすっかり遠ざかって、仏道の勤めをしている人である。その妹の君も、「めかりしほやく」とある歌への返事をさまざまに書きつけて、人を恋うる涙の海は都でも枕の下に湛えて、などと優雅に書いて一首を寄せた。この人も安嘉門院にお仕えしていたのである。遠慮して口に出さずにいることどもを、思い続けて書いているのも、たいそうしみじみとして趣深い。

 阿仏尼は藤原為家の側室で、為相
為守らの母。鎌倉の月影の谷に住んでいる。姉君は、中院の中将と申した人の北の方で、その夫はいま三位入道とかいう。同じ世にいながらすっかり世を遠ざかって仏道の勤めをしている人であり、阿仏尼がとりわけ隔てなく頼りにし合っている相手である。妹の尼上は出家した人で、安嘉門院に仕えていた。地の文はこの二人をまとめて「おとゞひふたり」と呼ぶ。阿仏尼が姉君へ書き送ったのは、都に残してきた幼い子どもたちのことであった。

 弘安二年(一二七九)の年の暮れ近く、鎌倉に届いた妹の尼上からの返事の中の歌である。

 「いたづらにめかりしほやくすさびにも戀しやなれし里のあま人」への返しで、さまざまに書きつけたうえ、人を恋うる涙の海は都でも枕の下に湛えて、などと優雅に書き添えてあった。

 この一首をもって姉妹との贈答は終わる。地の文は、遠慮して口に出さずにいることどもを思い続けて書いているのもたいそうしみじみとして趣深い、と結び、年が暮れて春になる記事へ移っていく。

 同じ場所にいられないことを、かえってという一語で言いあらわした返しである。初句「もろともに」は一緒にの意で、離れていることを裏から言う語として先頭に置かれる。第二句「めかり鹽やく」は贈歌の第二句をそのまま取り返した箇所で、贈歌が自分の暮らしを卑下して言った海人のわざを、こちらは二人で分かち合いたいものとして受け直している。第三句「浦ならば」は仮定条件で、実際にはそうでないことが前提になる。第四句「なかなか」は、かえって、むしろの意で、一緒にいれば涙も少ないはずだという理屈を導く。結句「袖になみはかけじを」の「かけじ」は打ち消しの意志、「を」は詠嘆をこめた終助詞で、下に続くべき言葉を残したまま終わる。「なみ」は波と涙とを兼ね、袖に波をかけるという言い方は、別れの贈答歌の「あだにのみ淚はかけじ旅ごろもこゝろのゆきて立ちかへるほど」、道中の記を閉じる「立ちはなれ世もうき浪はかけもせじむかしの人のおなじ世ならば」と同じもので、この日記を通じて繰り返されてきた。姉君が同じ風を聞いていると答えたのに対し、妹は同じ浦にいられたならと答えており、二人の返しがそれぞれ違うやり方で隔たりに触れている。

めかる(海松刈る):海藻を刈り取る。
しほやく(塩焼く):海水を煮て塩を作る。
出典
十六夜日記
その他の歌