いたづらにあまの鹽やくけぶりとも
誰かは見まし風に消えなば
- 歌の意味
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むなしく海人が塩を焼く煙だとも、いったい誰が見てくれるだろうか。風に消えてしまったならば。
- 鑑賞
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第十八段 瘧病―為子との贈答
三月の末ごろ、子どもがかかるような瘧病であろうか、一日おきに起こることが二度になった。妙にすっかり萎れきった心地がしながら、三度目になるはずの暁から起きていて、仏の御前で心を一つにして法華経を読んだ。そのしるしであろうか、跡形もなく熱が落ちた。ちょうどそのとき都への便があるので、こういうことがあったと故郷へも知らせるついでに、いつもの権中納言の御もとへ、旅の空で危ういほどの心細さも、さすがに御法のしるしであろうか、今日までは命をかけとどめて、と書いて一首を申し上げる。すると驚いて、すぐに御返事をくださった。お経のしるしがたいそう尊く思われて、さらに一首が置かれる。
阿仏尼は藤原為家の側室で、為相
為守らの母。鎌倉の月影の谷に住んでいる。権中納言は前の右兵衛督為教の娘で、大宮院に仕える。為教は為家の子で為氏の弟、為相の異母兄にあたるから、権中納言は阿仏尼の亡き夫である為家の孫にあたる。冬の初めの見舞いの歌以来、春の手習の歌の贈答を経て、この段でも同じ相手とやりとりが続く。地の文はこの人を、ほかに紛れることなく歌を詠まれる人と評していた。
弘安三年(一二八〇)三月の末ごろ、鎌倉の月影の谷。瘧病が癒えた直後、都への便に託して送った文の中の歌である。
一日おきに二度まで熱が起こり、三度目になるはずの暁から起きて法華経を読むと、跡形もなく熱が落ちた。ちょうど都への便があったので、故郷へ知らせるついでに権中納言の御もとへ、旅の空で危ういほどの心細さも御法のしるしであろうか、今日までは命をかけとどめて、と書いて添えた一首である。
権中納言は驚いて、すぐに御返事をくださった。その歌は、この一首の「消え」と「あま」と「しほ」の語を引き取り、消えはしないと打ち消す形で返されている。
旅先で死ぬかもしれなかったという述懐を、海人の煙に託した一首。初句「いたづらに」は、むなしく、甲斐なくの意で、春の贈答の「いたづらにめかりしほやくすさびにも戀しやなれし里のあま人」と同じ初句であり、同じく海人の営みを自分の境涯に重ねる言い方である。第二句「あまの鹽やく」は海人が藻塩を焼くことで、「あま」は海辺に住む海人であるとともに、自身が尼であることも響く。第三句「けぶりとも」の煙は、風にたやすく散るものの代表として置かれ、下の「消え」を導く。第四句「誰かは見まし」の「かは」は反語の係助詞、「まし」は反実仮想の助動詞で、誰が見てくれようか、誰も見はしまい、と言い切る。結句「風に消えなば」は、完了の「ぬ」の未然形に「ば」の付いた仮定条件で、倒置によって第四句へ返る。旅の空で死ねば、海人の塩焼く煙のようにむなしく消えて、誰の目にも留まらないだろうという意で、地の文が、今日までは命をかけとどめて、と書いていたのをそのまま歌にしている。訴えのために都を離れた身が、その訴えを果たさぬまま消えることへの怖れが、比喩の底にある。
あま(海人):海辺で漁や製塩をする人。出家した「尼」の意も響く。
しほやく(塩焼く):海水を煮て塩を作る。
けぶり(煙):はかなく消えるもののたとえ。
わらはやみ(瘧病):一日おきなどに発作的に高熱の出る病。
- 作者
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阿仏尼
- 出典
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十六夜日記
- その他の歌
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