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しのびねはひきのやつなるほとゝぎす
雲ゐに高くいつかなのらむ

歌の意味
忍び音は比企の谷で鳴いているというほととぎすよ、雲居に高く、いつになったら名のりを上げるのだろう。
鑑賞
第十九段 時鳥―為子との贈答

 四月のはじめごろ、都への便があるので、また同じ権中納言の御もとへ、去年の春や夏が恋しいなどと書いて二首を送る。その御返事がまたあった。草も木も去年見たままに変わらないけれども、以前とは似ない心地ばかりがして、と歌のまま文へ続き、さてほととぎすのお尋ねのことは、として、もう一首が置かれる。そして、実方の中将が五月まで時鳥を聞かないで陸奥の国から、都では聞き古しているだろうほととぎすを、関のこちら側にいる身はつらいことだ、と申されたことがあるそうだ、その例と思い出されて、このお手紙はことに優雅で、などと書いて寄こされた。そうしているうちに四月の末になったので、ほととぎすの初音はかすかにも聞けないままあきらめてしまった。人づてに聞くと、比企の谷という所でたくさんの声が鳴いたのを人が聞いた、などというので、それを聞いて阿仏尼はひとり一首を思う。けれどもその甲斐もない。もともと東国は陸奥の奥まで、昔からほととぎすの稀な習いなのであろうか。まったく鳴かないのならまだよい。まれにも聞く人があったのは、鳥が人を選んだのだと、心を尽くして恨めしく思われる。

 阿仏尼は藤原為家の側室で、為相
為守らの母。鎌倉の月影の谷に住んでいる。権中納言は前の右兵衛督為教の娘で、大宮院に仕える。為教は為家の子で為氏の弟、為相の異母兄にあたるから、権中納言は阿仏尼の亡き夫である為家の孫にあたる。冬の見舞い、春の手習の歌、瘧病の折の贈答に続いて、この段でも同じ相手とやりとりが続く。地の文に引かれる実方の中将は平安中期の歌人藤原実方で、陸奥守として東国へ下った人である。

 弘安三年(一二八〇)四月の末、鎌倉の月影の谷。この段でただ一つ、贈答の外に置かれた独詠である。

 四月の末になっても、ほととぎすの初音はかすかにも聞けないままあきらめていたところ、人づてに、比企の谷という所でたくさんの声が鳴いたのを人が聞いた、というのを聞いて詠んだ一首である。

 地の文は、などとひとり思うけれどもその甲斐もない、と受け、続けて、もともと東国は陸奥の奥まで昔からほととぎすの稀な習いなのだろうか、まったく鳴かないのならまだよい、まれにも聞く人があったのは鳥が人を選んだのだと、心を尽くして恨めしい、と述べる。

 自分だけが聞けないという恨みを、鳥への問いかけに変えた一首。初句「しのびねは」の「しのびね」は、ほととぎすが夏の初めにまだ声をひそめて鳴くことをいう語で、人に知られずに鳴いている段階を指す。第二句「ひきのやつなる」は、鎌倉の比企の谷にいるの意で、「やつ」は鎌倉あたりで山あいの狭い谷地をいう語であり、阿仏尼自身の住まいである月影の谷と同じ語である。地の文で人づてに聞いた地名を、そのまま歌に取りこんでいる。第三句「ほとゝぎす」は呼びかけで、ここまでが鳥を名指す部分にあたる。第四句「雲ゐに高く」の「雲ゐ」ははるかな空をいい、宮中の意も表す語である。結句「いつかなのらむ」の「なのる」は、忍び音をやめて高く声を上げることをいい、「いつか」と推量の「らむ」とが呼応して、その時を待ちかねる気持ちをあらわす。忍び音のうちは人に知られないという鳥の習いをそのまま述べており、まれにも聞く人があったのを恨めしいとする地の文の心と響き合う。この段の他の四首がすべて都との往復の中にあるのに対し、この一首だけが鎌倉の土地の名を歌に入れており、贈答から離れた独詠であることが調子のうえにもあらわれている。

しのびね(忍び音):ほととぎすが夏の初めに声をひそめて鳴くこと。
やつ(谷):鎌倉あたりで、山あいの狭い谷地をいう語。
雲ゐ(雲居):はるかな空。宮中の意も表す。
なのる(名のる):声高く鳴いて自分の名を告げる。
作者
阿仏尼
出典
十六夜日記
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