それゆゑにとび別れてもあしたづの
子を思ふかたはなほぞ悲しき
- 歌の意味
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子を思えばこそ飛び別れてきたのだけれども、葦鶴が子を思う、その心のほうは、やはり悲しいのだ。
- 鑑賞
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第二十段 和徳門院新中納言との贈答
また、和徳門院の新中納言と申し上げる方は、京極の中納言定家の御むすめで、深草の前斎宮と申し上げた方のもとへ、父の中納言が差し上げておかれたまま年を経られた。この女院は斎宮の御子としてお立てになったので、そのまま伝わってお仕えしておられる。「うき身こがるゝもかり舟」などと詠まれた民部卿のすけのきょうだいでいらっしゃる。そういう人の子でありながら、つたない歌を詠んでは人に聞かれまいと、ひたすら人目を憚っておられたけれども、はるかな旅の空の心もとなさに、しみじみとしたことどもを書き続けて、一首を、文のことばに続けて歌のようにも見えない書きようでお書きになった。それがほかの人よりはなおざりでなく思われる。阿仏尼はそれに返事を申し上げる。そのついでに、故入道大納言が草の枕にも立ち添って夢に見えなさることなどを、この人ばかりはあわれとお思いになるだろうと思って、二首を書きつけて差し上げる。それをまた、無理に便を尋ねて御返事をくださった。あれほど歌をお隠しになっていたのも、時と場合によるのであった。二首が寄せられている。
阿仏尼は藤原為家の側室で、為相
為守らの母。鎌倉の月影の谷に住んでいる。新中納言は京極中納言定家の娘で、深草の前斎宮のもとへ父の定家が差し上げておかれたまま年を経た人。和徳門院はその斎宮の御子とされたので、そのまま伝わって仕えている。定家は阿仏尼の亡き夫である為家の父にあたるから、新中納言は為家のきょうだいであり、阿仏尼にとっては亡き夫の姉妹にあたる。故入道大納言はその為家その人で、この段の後半の四首はその夢をめぐる贈答である。阿仏尼が、この人ばかりはあわれと思ってくださるだろうと考えたのは、この血縁による。
弘安三年(一二八〇)の夏の初めごろ、鎌倉の月影の谷から都へ送った返事の中の歌である。
新中納言の「いかばかり子を思ふつるのとびわかれならはぬ旅の空になくらむ」への返しである。
この返事のついでに、阿仏尼は、亡き為家が草の枕にも立ち添って夢に見えることなどを、この人ばかりはあわれと思ってくださるだろうと考えて書き送ることになる。
憐れみを受けとめながら、この別れが自分の選んだものであることを言い添えた返しである。初句「それゆゑに」は、子を思えばこそ、の意で、贈歌が別れを不幸として描いたのを、別れの理由のほうへ引き取る。第二句「とび別れても」は贈歌の第三句「とびわかれ」を受け、接続助詞「ても」によって逆接に転じる。第三句「あしたづの」は葦辺に住む鶴のことで、贈歌の「つる」を言いかえたもの。第四句「子を思ふかたは」は八音の字余りで、贈歌の第二句「子を思ふつるの」と同じ形をそろえてあり、字余りまで含めて対応させている。「かた」は方面、心の向きの意。結句「なほぞ悲しき」は係助詞「ぞ」と連体形「悲しき」の係り結びで、それでもやはり、と言い切る。子を思うがゆえに子と別れたという矛盾を、そのまま歌の骨組みにしており、序に、人にやらされた道ではないのだから行くのがつらいといって留まるわけにもいかない、と記されていたのと通じている。
あしたづ(葦鶴):葦辺にいる鶴。鶴の異称。
かた(方):方面、心の向き。
- 作者
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阿仏尼
- 出典
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十六夜日記
- その他の歌
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