古典和歌stream

かりそめの草のまくらのよなよなを
思ひやるにも袖ぞつゆけき

歌の意味
かりそめの草の枕で過ごされる夜な夜なを思いやるにつけても、私の袖は露に濡れたようになる。
鑑賞
第二十一段 為相五十首とその返信

 夏のあいだは不思議なほど便りも絶えて、心もとなさも一通りではない。都のほうは志賀の浦波が立ち、山や三井寺の騒ぎなどと聞こえるのも、いっそう気がかりである。ようやく八月二日に使いを待ち得て、日ごろから溜めておいた人々の文どもを取り集めて見た。侍従の宰相の君のもとからは、五十首の和歌を詠んだといって、清書もしきれないまま下された。歌もたいそう趣深くなっていた。五十首のうち十八首に点が合ったのも不思議で、親の心の闇のひがめがあるのだろう。その中の一首を見ると、旅の空を思いやって詠まれたのだろうと、心をやってしみじみと思われるので、その歌のかたわらに、文字を小さく返事を書き添えて送る。また同じ旅の題で詠まれた一首のある所にも、やはり返事を書き添えた。さらにこの五十首の歌の奥に詞を書き添え、おおかた歌のさまなどを記しつけたうえで、奥に一首を書きつける。

 阿仏尼は藤原為家の側室で、為相
為守らの母。鎌倉の月影の谷に住んでいる。侍従の宰相の君は、別れの贈答歌の段から「侍從」と呼ばれてきた子の為相で、都を発つ日に「つひによもあだにはならじもしほぐさかたみをみよの跡にのこせば」と返した人である。この段は、その為相が詠み送った五十首の詠草に、阿仏尼が合点を付け、歌のかたわらに小さな文字で返しを書き添えるという、贈答としては変わった形をとる。奥に置かれる一首にいう「昔の人」は亡き為家で、この五十首をこそ見せたかった相手にあたる。

 弘安三年(一二八〇)八月二日以後、鎌倉の月影の谷。都から届いた五十首の詠草をめぐる場面である。

 同じ旅の題で詠まれた五十首の中の一首である。

 阿仏尼はこの歌のある所にも、また返しを書き添えた。返しは「秋ふかき草のまくらに我ぞなくふりすてゝこしすゞむしのねを」である。

 旅寝を思いやる涙を、草にかかる露に重ねた一首。初句「かりそめの」は、一時的な、間に合わせのの意で、旅の宿りの頼りなさをいう。第二句「草のまくらの」は草を結んで枕とすることから旅寝をいう語で、この日記でも、亡き為家が草の枕にも立ち添って夢に見えると地の文に記されていた。第三句「よなよなを」は夜ごとの意で、一夜のことではなく続く日々であることを示す。第四句「思ひやるにも」の「にも」は、…するにつけても、の意で、思うだけで涙が出ることをあらわす。結句「袖ぞつゆけき」の「つゆけし」は露っぽい、涙に濡れているの意の形容詞で、係助詞「ぞ」と連体形「つゆけき」の係り結びによって袖の一点に集める。「草」と「露」は縁語で、旅寝の草の枕から自分の袖の露へと、同じ植物の景の中で涙が導かれている。都に残った子の側から旅の母を思う歌であり、前の「こゝろのみへだてずとても旅ごろも山ぢかさなるをちのしら雲」が距離を詠んだのに対し、こちらは夜という時間のほうを詠んでいる。

かりそめ(仮初):一時的なこと、間に合わせ。
草のまくら(草の枕):草を結んで枕とすることから、旅寝をいう。
よなよな(夜な夜な):夜ごと。
作者
冷泉為相
出典
十六夜日記
その他の歌