くづれよる妹背の山の中なれば
さらに吉野の川とだに見じ
- 歌の意味
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崩れ寄る妹山と背山の間のような仲なのだから、もう吉野の川とさえも見るまい。あなたを兄とも思うまい。
- 鑑賞
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84 里にまかでたるに
里に退出していると、殿上人などが訪ねてくるのを人々がとやかく噂するという。作者は、堅く引きこもっているという評判があるわけでもないのだからそう言われても仕方がないと考え、昼も夜も来る人を居留守で追い返すこともしない。とはいえあまりに煩わしいので、このたびの居場所は一般には知らせず、左中将経房の君や斉政の君などだけが知っている。そこへ左衛門の尉則光が来て、昨日、宰相の中将が参上して、妹の居所を知らぬはずはあるまい、言え、とひどく問い詰められたと語る。知らないと申しあげたが意地悪く責められて、笑い出しそうになり、困りきって台盤の上にあった布を取ってひたすら口に押しこみ、そのおかげで居所を言わずにすんだ、という顛末である。作者は決して申しあげてくれるなと念を押す。
則光は橘則光で、宮中では作者の兄と呼びならわされていた。宰相の中将は藤原斉信、左中将経房は源経房である。
時は作者が里に退出している間から、その後の日々にかけてのことである。
このように互いに世話をし合って親しくしていたが、これという理由もなく少し疎遠になったころ、則光が手紙をよこした。不都合なことがありましても、やはりお約束したところはお忘れなく、よそ目には兄だと思って見てください、という内容である。則光は日ごろから、自分を思ってくれる人なら歌など詠んで寄こさないでほしい、歌はすべて仇敵だと思う、これを最後に絶交しようと思うときにこそそういうものは詠め、と口ぐせのように言っていた。その手紙への返事として、作者はこの歌を送った。
則光からは返しもなかった。本当に見なかったのだろうか、と作者は記している。その後、則光は叙爵して遠江の介となり、憎いままに縁が切れてしまった。
初句「くづれよる」は崩れかかるの意で、次の「妹背の山」に直接かかる。妹山と背山は吉野川をはさんで向かい合う山で、古来、男女や親しい間柄の見立てに用いられてきた。ここでは兄と妹と呼びならわされた二人の関係にそのまま重ねられている。両側の山が崩れ寄れば、間を流れる川はふさがれて流れなくなる。第三句「中なれば」の「中」は山と山の間であると同時に二人の仲でもあり、掛詞として歌の中心に据えられている。
第四句「さらに」は下の打消と呼応して、まったく…ないと強く否定する。結句「川とだに見じ」の「だに」は、せめて…とだけでもの意で、「見じ」の「じ」は打消の意志を示す助動詞である。吉野の川と見ることさえすまい、という言い方は、妹背の山にはさまれた川という縁語の連なりを踏まえながら、あなたを兄と見ることさえもうしない、と告げている。
則光がつねづね、絶交しようと思うときにこそ歌を詠め、と言っていたことを受けての一首であるから、これは相手の言葉をそのまま実行してみせた返事である。前の「かづきするあまのすみかをそことだにゆめいふなとやめを食はせけむ」が合図の通じない相手への皮肉であったのに対し、こちらは相手の宣言を逆手に取って縁の切れ目を告げるもので、同じ段の中で歌を嫌う男と歌で応じる女という対比が二度くり返される形になっている。
くづれよる:崩れかかる。崩れ寄る
妹背の山:吉野川をはさんで向かい合う妹山と背山。男女や親しい間柄のたとえ
中:山と山の間と、人と人との仲との掛詞
さらに…じ:まったく…しない、決して…しまい
だに:せめて…だけでも
じ:…まいという打消の意志をあらわす助動詞
かうぶり得(う):叙爵する。従五位下に叙せられる
遠江の介:遠江国の次官
せうと:兄。兄人(せひと)の転
- 作者
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清少納言
- 出典
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枕草子
- その他の歌
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