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うらやまし足もひかれずわたつ海の
いかなる人にもの賜ふらむ

歌の意味
うらやましいことだ。足も引きずらないあの尼に、いったいどういう人だからといって、あれほどの物をお与えになるのだろう。
鑑賞
87 職の御曹司におはします頃、西の廂にて

 中宮が職の御曹司においでのころ、西の廂で不断の御読経が行われ、仏を掛け僧たちが控えていた。そこへ縁のもとに年老いた女法師が現れ、御仏供のおさがりを乞う。菓子や餅を与えるとすっかり打ち解け、若い女房たちの問いにふざけた小唄をうたって頭を振る。中宮は聞き苦しいことをさせたものだと言って衣を一つ与えて帰させたが、この女法師はそれに慣れたのか、その後もわざと人目につくように歩きまわるようになり、うたった文句からそのまま常陸の介と呼ばれるようになった。与えられた衣も白いものに着替えず、もとの煤けたままなので、いったいどこへやったのかと女房たちは憎らしがる。
 その後、また別の、たいそう上品な様子の尼の乞食が現れ、呼び出して話などすると、この尼はいかにも恥ずかしそうにしていて哀れなので、例のとおり中宮から衣を一つ賜った。尼は伏し拝み、嬉し泣きをして帰っていったが、その場面を常陸の介が居合わせて見てしまった。それきり常陸の介は長く姿を見せなくなる。
 この歌の詠み手は、その常陸の介と呼ばれた年老いた女法師である。歌に詠まれている相手は、後から来て衣を賜った尼で、足が不自由であったとされる。
 時は師走の末ごろ、雪の山が少し小さくなりながらもなお高くあった昼のことで、場所は職の御曹司の縁のあたりである。
 久しく姿を見せなかった常陸の介がふたたび現れ、どうしてこんなに長く見えなかったのかと問われて、つらいことがございましたのでと答え、やはりこう思っておりましたのですと言って、語尾を長く引きながら詠み出したのがこの歌である。
 女房たちは憎らしがって笑い、誰も目を向けようとしない。常陸の介は雪の山に登り、あちこち踏み歩いてから帰っていった。作者がその顛末を右近の内侍に伝えたところ、どうして人を添えて差し向けてくださらなかったのか、あんなきまり悪い恰好で雪の山まで登っていったとはかわいそうに、という返事が来て、一同はまた笑った。

 初句「うらやまし」は形容詞の言い切りで、まず感情だけを投げ出す。第二句「足もひかれず」は、足を引きずりもしないの意で、後から来た尼が足の不自由な身であったことを踏まえた言い方とされ、自分よりも障りのない者がなぜ厚遇されるのか、という不満をこめる。
 第三句「わたつ海の」は本来「あま」にかかる枕詞であり、ここでは海人ではなく尼を導いている。同音を用いて、海に潜る者を呼び出す言葉をそのまま出家の尼に転用したところに、この歌の仕掛けがある。海の広さを言う語が置かれることで、いかなる人にという次の問いの範囲も漠然と広がる。
 第四句「いかなる人に」は、どういう人だからといっての意の問いかけで、結句「もの賜ふらむ」の「らむ」は現在の事態についての推量である。目の前で起きたことの理由をはかりかねる、という形をとりながら、実際には自分が同じ扱いを受けなかったことへの当てこすりになっている。
 同じ段の「ここにのみめづらしとみる雪の山所々にふりにけるかな」が掛詞で落胆を笑いに変えるのに対し、こちらは枕詞の転用によって恨みごとを歌の体裁に整えたもので、作者はそれを憎らしがりつつも一首として書きとめている。

わたつ海の:「あま(海人)」にかかる枕詞。ここでは同音の「尼」を導く
足もひかれず:足を引きずりもせず
いかなる:どのような
らむ:目の前の事柄について理由や事情を推量する助動詞
女法師:出家した姿の女。ここでは物乞いをして歩く者
常陸の介:常陸国の次官。ここでは女法師のあだ名
右近の内侍:内侍司の女官
かたはらいたし:きまりが悪い。見ていて痛々しい
あてやかなり:上品である
出典
枕草子
その他の歌