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ほととぎすたづねて聞きし声よりも
下蕨こそ恋しかりけれ

歌の意味
ほととぎすをわざわざたずねて行って聞いたその声よりも、あの下蕨のほうが恋しいのだった。
鑑賞
99 五月の御精進のほど

 五月の御精進のころ、中宮が職の御曹司においでで、塗籠の前の二間を特別にしつらえてあるのが常とは違っておもしろい。一日から雨がちで曇りの日が続き、所在ないので、ほととぎすの声をたずねに行きたいと言うと、我も我もと女房たちが出立する。賀茂の奥にある明順朝臣の家に立ち寄ると、田舎びた造りながら風情があり、ほととぎすがしきりに鳴いている。主が食事をもてなし、この下蕨は自分で摘んだのだと言う。雨が降りそうだというので急いで車に乗り、卯の花を折って車の簾や棟にさし添えると、まるで卯の花の垣根を牛に掛けたように見えた。歌はここで詠もうと言いながら、道でもよいと言ってみな乗ってしまい、結局ほととぎすの歌は詠まれずに終わる。
 明順朝臣は高階明順で、中宮定子の母である高階貴子の兄弟にあたり、定子の伯父である。宰相の君は中宮方の上﨟の女房で、才女として作者と並び称された人である。
 時は五月、場所は職の御曹司で、話題になっているのは数日前の賀茂の奥への外出である。
 二日ほどして、その日のことを話し出したときに、宰相の君が、あの自分で摘んだと言っていた下蕨はどうだったのか、と言うのを中宮がお聞きになり、思い出すことがそれとは、とお笑いになって、散らかっていた紙に「下蕨こそ恋しかりけれ」と下の句をお書きになり、上の句をつけよと仰せられた。そこで作者が「ほととぎすたづねて聞きし声よりも」と書いて差しあげた。
 中宮は、たいそう堂々としている、どうしてわざわざほととぎすのことを書いたのか、とお笑いになる。作者は恥ずかしく思いながら、自分は歌を詠むまいと思っていること、折々に人が詠む場でも詠めと仰せられると心細くなることを申しあげ、父の名を辱めたくないという弁解へと話が進む。この場面が、同じ段の後半で中宮が「元輔が後といはるる君しもや今宵の歌にはづれてはをる」と詠みかける伏線になっている。

 この一首は中宮が下の句を先に示し、作者が上の句を後からつけたもので、歌の成り立ちの順が読みの順と逆になっている。中宮が置いた「下蕨こそ恋しかりけれ」は、係助詞「こそ」が已然形「けれ」を結ぶ係り結びで、下蕨をこそ、と強く限定する。ほととぎすを聞きに行った話をしているのに、思い出すのは食べ物のほうだという可笑しみが、この結びの強さによって際立つ。
 作者がつけた「ほととぎすたづねて聞きし声よりも」は、初句に季節の景物を据え、第二句「たづねて聞きし」の「し」は過去の助動詞の連体形で、わざわざ出向いて聞いたという経緯をひと息に押しこむ。第三句「声よりも」の「よりも」が比較の枠を作り、下の句の「こそ」と噛み合って、上と下がひとつの文としてつながる。
 中宮の言葉は、風雅を求めて出かけた者が食べ物を懐かしがるという落差をからかうものである。作者はそれを打ち消さず、ほととぎすという最も風雅な景物を上の句に据えたうえで、その声よりも下蕨のほうがまさるという序列をみずから作ってみせた。からかいを受け流すのではなく、からかいの構図を歌の骨組みに変えて返した形であり、この段が繰り返し描く、主従の間の言葉の応酬の呼吸がよくあらわれている。

御精進(ごさうじ):仏事のために肉食を断ち身を慎むこと
塗籠(ぬりごめ):四方を厚く壁で塗りこめた部屋
下蕨(したわらび):草の下に生えるわらび
たづぬ:さがし求める。わざわざ出向いてさがす
き:過去をあらわす助動詞。連体形は「し」
こそ…けれ:係助詞「こそ」による係り結び。結びは已然形
受けばる:堂々としている。大きく構える
宰相の君:中宮に仕えた上﨟の女房
卯の花:うつぎの花。初夏に白く咲く
作者
清少納言(上の句)、中宮定子(下の句)
出典
枕草子
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