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つめどなほ耳無草こそあはれなれ
あまたしあれば菊もありけり

歌の意味
摘んでもやはり耳無草は気の毒なものだ。草がたくさんあるのだから、その中には菊もあったのだ。聞くこともあったのだ。
鑑賞
131 七日の日の若菜を

 正月七日の若菜を、六日に人が持ってきて騒ぎ、そこらに取り散らしなどしているところへ、子供が見たこともない草を取って持ってきた。何というのかと問うと、すぐには答えず、いまに、などと互いに顔を見合わせている。そのうち、耳無草というのですと言う者があったので、なるほどそうだったのだ、聞こえない顔をしているのは、と笑う。そこへまた、たいそうかわいらしい菊の生え出たばかりのを持ってきたので、この歌を詠んだ。もっとも、これも子供には聞き入れられそうにない、と結ばれる。
 登場するのは草を持ってきた子供たちで、いずれも名は記されていない。
 時は正月六日、若菜の支度で騒いでいるさなかのことである。
 耳無草という名を聞いて笑った直後に、生え出たばかりの菊が持ちこまれたことが、この歌が詠まれた直接のきっかけである。耳と菊という二つの名が並んだところで、ひとつづきの言葉遊びが成り立った。
 作者は、言おうと思ったけれども、これもまた聞き入れられそうにない、と記して段を閉じる。歌は口に出されないまま終わり、耳無草にも子供にも通じないという同じ落ちが二重に効いている。なお、この歌は伝本によって本文に異同があり、結句を「菊もまじれり」とする系統もある。

 初句「つめど」は、摘んでもの意の逆接で、若菜を摘むという正月七日の行事を背景に置く。第二句「なほ耳無草こそ」の「こそ」は係助詞で、結びの「あはれなれ」を已然形に導く係り結びをなす。耳無草は名に耳がないという意を含む草で、聞く力を持たない者に見立てられている。
 第四句「あまたしあれば」の「し」は強意の副助詞で、数多くあるのだからと理由を示す。結句「菊もありけり」が眼目で、草の名の「菊」と、聞くの意の「聞く」とが掛けられている。数ある草の中には菊もあった、という表の意味の下に、これだけ人がいるのだから聞く耳もあったのだ、という裏の意味が重なる。耳無草と菊とを並べることで、聞かないものと聞くものとの対をその場の草だけで作り上げている。
 「あはれなれ」は、しみじみと心が動くの意で、ここでは耳を持たないものへの憐れみをいう。名前の一語から連想を伸ばし、目の前に持ちこまれた別の草で落ちをつけるという運びは、名にまつわる言葉遊びを好むこの書の性格をよくあらわしており、詠まれた歌が相手に届かないまま終わる点も、「かづきするあまのすみかをそことだにゆめいふなとやめを食はせけむ」で合図が通じなかった一件と響き合う。

若菜:正月七日に摘んで羹に入れる七種の草
つむ:摘み取る
なほ:やはり。それでもなお
耳無草(みみなぐさ):草の名。名に「耳無し」の意を含む
こそ…なれ:係助詞「こそ」による係り結び。結びは已然形
あはれなり:しみじみと心を動かされる。気の毒だ
あまた:数多く
し:意味を強める副助詞
菊:草の名の「菊」と、聞くの意の「聞く」との掛詞
けり:今はじめて気づいたという詠嘆をあらわす助動詞
作者
清少納言
出典
枕草子
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