わたつ海の沖にこがるる物見れば
あまの釣して帰るなりけり
- 歌の意味
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大海の沖で焦がれているものを見ると、海人が釣りをして帰るところであった。
- 鑑賞
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182 村上の前帝の御時に
村上の前帝の御代に、兵衛の蔵人という女房をお供にして、人けのないときに帝が歩いておいでになった。すると火櫃から煙が立っている。あれは何か、見てまいれと仰せられたので、兵衛の蔵人はそれを見に行き、帰ってきてこの歌を奏上した。火櫃の中で蛙が飛び込んで焼けていたのであった。
村上の前帝は村上天皇で、一条天皇の祖父にあたる。兵衛の蔵人は村上天皇に仕えた女房である。
時は村上天皇の御代のこととして語られる昔語りで、場所は宮中である。
帝が火櫃から立つ煙を見とがめ、何かを確かめてくるように命じたことが直接の契機である。命じられたのは事実の報告であって歌ではなかったが、兵衛の蔵人は見たものをそのまま告げず、歌の形にして奏上した。
この段はきわめて短く、詠出後の反応は記されない。ただ、帝の問いに歌で答えたという一事が、その場の機転をたたえるものとして書きとめられている。
初句「わたつ海の」は本来「沖」や「あま」にかかる語で、ここでは火櫃という狭い器物の中の出来事を、いきなり大海の景に置きかえる働きをする。第二句「沖にこがるる」の「こがる」は、焼け焦げるの意と、舟を漕ぐの意の「漕がる」とが掛けられている。実際には蛙が焼け焦げているのだが、その語を海の景に置くことで、沖を漕いでいく舟の姿が立ちあがる。
第三句「物見れば」は、見てみるとの意で、確かめてまいれという帝の命をそのまま歌の中に取りこんでいる。第四句「あまの釣して」の「あま」は海人で、その海人が釣りをして、と続く。「釣」には、火にあぶるという意の「つる」を響かせて読む説もあるが、表の意味としては漁を終えた海人の姿である。
結句「帰るなりけり」の「なり」は断定、「けり」は気づきの詠嘆で、見てみればこうであったのだ、という報告の呼吸をそのまま歌の結びにしている。焼けた蛙という卑近な、しかも見て気味の悪いものを、一語も直接には言わず、海人の帰る沖の景に変えて奏上した点にこの歌の眼目がある。命じられた報告を歌に変えるという趣向は、「ここにのみめづらしとみる雪の山所々にふりにけるかな」が世間話を歌に変えるのと通じるが、こちらは帝への奏上という場の緊張の中で行われている。
わたつ海:大海。海の神の意から転じて海そのものをいう
こがる:「焦がる」と「漕がる」との掛詞
あま:海人。海に潜り、また釣りをして漁をする者
なり:断定をあらわす助動詞
けり:今はじめて気づいたという詠嘆をあらわす助動詞
火櫃(ひびつ):角形の火鉢
蔵人(くらうど):蔵人所に属する職。ここは女蔵人
奏す:天皇に申しあげる
- 出典
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枕草子
- その他の歌
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