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いかにして過ぎにしかたを過ぐしけむ
暮らしわづらふ昨日今日かな

歌の意味
どのようにして今までの日々を過ごしてきたのだろう。持てあましてしまう昨日今日であることよ。
鑑賞
301 三月ばかり、物忌しにとて

 三月ごろ、物忌のために人の家へ出向いた作者は、そこでの日々があまりに退屈で、すぐにも中宮のもとへ参上したいと思っていた。そこへ中宮からお手紙が届き、この歌が書かれていた。
 中宮は一条天皇の中宮定子である。作者が身を寄せた家の主については、本文に記されていない。
 時は三月ごろ、場所は作者が物忌のために滞在している人の家と、中宮の御在所である。
 作者が物忌のために宮中を離れて数日を過ごしていることが、この歌が贈られた直接の契機である。離れている間の心細さを、日を過ごすことそのものの困難として詠み送られた。
 作者はこれに「雲の上も暮らしかねける春の日を所がらとも眺めつるかな」と返した。同じ段には、居候先の柳を評した「さかしらに柳の眉のひろごりて春のおもてを伏する宿かな」も置かれており、私的な軽口と主従の贈答とが一段の中に並ぶ構成になっている。

 初句「いかにして」は、どのようにしての意の疑問の副詞で、結びの「けむ」と呼応して過去についての疑いをあらわす。第二句「過ぎにしかたを」は、過ぎ去った時をの意で、「し」は過去の助動詞の連体形である。第三句「過ぐしけむ」の「けむ」は過去の推量で、いったいどうやって過ごしてきたのだろうと、自分の過去を他人事のようにいぶかる。
 「過ぎにしかたを過ぐしけむ」は、過ぎるという同じ語を自動詞と他動詞で重ねた形で、時が自然に過ぎていたはずの日々を、今は意識して過ごさねばならないものとして言い直している。この重ねが、日常が日常でなくなった感覚を生む。
 第四句「暮らしわづらふ」は、日を過ごすのに難儀するの意で、「わづらふ」が困りあぐねる気持ちを示す。結句「昨日今日かな」は、この二日ばかりのことだと時間を極端に短く限り、「かな」が詠嘆を添える。過去の全体と、目の前の二日とを対比させることで、相手が離れて以来の時間の重さだけが際立つ仕掛けである。
 寂しいとも待っているとも言わずに、ただ日が過ごしにくいとだけ述べる。同じ作者の「山ちかき入相の鐘の声ごとに恋ふる心の数は知るらむ」が鐘の数に思いを託したのと同じく、感情を直接には言わず、時間の量に置きかえて示す構えである。

いかにして:どのようにして
過ぎにしかた:過ぎ去った時。以前
けむ:過去の事柄を推量する助動詞
わづらふ:困りあぐねる。もてあます
暮らしわづらふ:日を過ごすのに難儀する
かな:詠嘆をあらわす終助詞
物忌:凶事を避けるため一定期間、身を慎み外出などを控えること
つれづれなり:することがなく退屈である
作者
中宮定子
出典
枕草子
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