古典和歌stream

わたつ海に親おし入れてこの主の
盆する見るぞあはれなりける

歌の意味
海に親を押し入れておいて、この男が盆の供養をするのを見るのは、まことに殊勝なことであるよ。
鑑賞
307 右衛門の尉なりける者の

 右衛門の尉であった者が、自分の父の見苦しいのを人に見られるのを恥じて、伊予国から京へ上る際に、父を海に押し入れてしまった。人はみな、なんと情けないことをする者かと驚き呆れた。ところが七月十五日、その男が盆の供養をしようとして支度に立ち働いているのを、道命阿闍梨が見て詠んだのがこの歌である。
 道命阿闍梨は歌人としても知られた僧で、藤原道綱の子にあたる。右衛門の尉であったという男については、本文に名が記されていない。
 時は七月十五日の盂蘭盆、場所は京である。父が突き落とされたのは、伊予国から上京する道中の海上であった。
 親を海に落とした当人が、盆の供養の支度をしているのを目にしたことが、この歌が詠まれた直接の契機である。
 本文はこの歌を掲げるのみで、男の反応や後日談は記されていない。

 初句「わたつ海に」は海にの意で、事の起きた場所を最初に据える。第二句「親おし入れて」は、押し入れるという露骨な動詞をそのまま用い、事実を一切飾らずに提示する。ここまでで、聞く者はすでに事件の全体を思い起こす。
 第三句「この主の」の「主」は、その男、当の本人をさす。名を挙げず、この者と指し示すことで、突き放した目つきが生まれる。第四句「盆する見るぞ」の「盆す」は盂蘭盆の供養を営むこと、「ぞ」は係助詞で、結びの「ける」を連体形に導く係り結びをなす。
 結句「あはれなりける」が眼目である。「あはれなり」は本来、しみじみと心を動かされる、殊勝であるの意で、字面のうえでは供養する姿を褒める言葉になる。しかし親を海に沈めた者がその親のために供養するという事実の上に置かれると、褒め言葉がそのまま最も鋭い皮肉に転じる。「ける」の詠嘆が、その反転をいっそう際立たせる。
 罵る語を一つも用いず、供養を讃える体裁のまま最後まで通したところにこの一首の手際がある。同じ作者集団の中でも、この歌は僧の詠として置かれており、仏事の場にありながら仏事の名を借りて人を刺すという、ねじれた構えを持つ。

右衛門の尉:右衛門府の三等官
わたつ海:海
おし入る:押し込む。押し落とす
主(ぬし):その人。当人
盆す:盂蘭盆の供養を営む
ぞ…ける:係助詞「ぞ」による係り結び。結びは連体形
あはれなり:しみじみと心を動かされる。殊勝である
けり:詠嘆をあらわす助動詞
阿闍梨(あじゃり):密教で、弟子を導く資格を持つ高僧
伊予:今の愛媛県にあたる国名
作者
道命
出典
枕草子
その他の歌