みまくさをもやすばかりの春の日に
夜殿さへなど残らざるらむ
- 歌の意味
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秣を燃やすほどの春の日の火で、どうして夜殿までも残らなかったのだろう。
- 鑑賞
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314 僧都の御乳母のままなど
僧都の君の御乳母のままなどが、御匣殿の局に集まっていたところへ、一人の男がやって来て、ひどい目に遭いましたと言う。作者がどうしたのかと尋ねると、馬寮の秣を積んでいた家から火が出て自分の家も焼け、夜殿に寝ていた妻も危うく焼け死ぬところだった、と語る。
僧都の君は中宮定子の弟にあたる隆円である。御匣殿は御匣殿別当を務めた中宮定子の妹である。訴え出た男については、本文に名が記されていない。
時は春、場所は御匣殿の局である。
男の語る火事の顛末を御匣殿がたいそうお笑いになったことを受けて、作者がこの歌を詠んだ。
作者はこれを紙に書きつけ、これを男に渡してやってくださいと言って投げてよこした。女房たちは笑って、ここにおいでの方が、おまえの家が焼けたのを気の毒がってくださるのだ、と言って男に渡した。男はそれを広げて見て、これは何の短冊でしょう、物はどのくらいいただけますか、と言った。
初句「みまくさを」の「まくさ」は馬の飼料である秣で、「み」は接頭語である。火元となった品をそのまま歌の頭に据える。第二句「もやすばかりの」は、燃やす程度のの意で、「ばかり」が限定して、たかがその程度の火にすぎないという評価を下す。
第三句「春の日に」は、のどかであるはずの春の日という時節を置き、大火にはふさわしくない情景を用意する。ここまでで、秣を少し焼く程度の、春ののんびりした火という像が組み立てられる。
第四句「夜殿さへなど」の「さへ」は、…までもの意の副助詞で、寝室にまで及んだという事態の思いがけなさを示す。「など」は、どうしてという疑問の副詞である。結句「残らざるらむ」の「ざる」は打消、「らむ」は現在の事態についての推量で、どうして残らなかったのだろう、と問いかけて結ぶ。
現に家は焼け、妻は危ういところであった。それを、たかが秣を燃やす程度の火だったはずなのにと言いなすことで、災難の訴えを、理屈の合わないおかしみへと変えている。同情の言葉を一つも述べず、火の小ささと被害の大きさとの不つり合いだけを指摘する構えである。
しかも男はこれを歌とも受け取らず、何の短冊かと尋ね、褒美はいくらかと言う。歌が歌として通じない相手に向けて詠まれた点で、一三一段の「つめどなほ耳無草こそあはれなれあまたしあれば菊もありけり」が、言っても通じまいと思って口に出さずに終わったのと対をなしており、通じない相手に向けた場合の結末の違いが見どころとなっている。
僧都(そうづ):僧官の一。僧正に次ぐ
まま:乳母、または乳母に準じて世話をする女
御匣殿(みくしげどの):御匣殿別当。装束の裁縫などをつかさどる役所の長官、またその人
馬寮(めれう):馬の飼育や馬具をつかさどる役所
まくさ(秣):馬の飼料とする草
夜殿(よどの):寝室
さへ:…までも
など:どうして。なぜ
らむ:目の前の事柄について理由や事情を推量する助動詞
短冊(たんざく):細長い紙。ここでは何のための紙かわからないという男の言葉
- 作者
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清少納言
- 出典
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枕草子
- その他の歌
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