逢坂は胸のみつねに走り井の
見つくる人やあらむと思へば
- 歌の意味
-
逢坂では胸ばかりがいつも走る、その走り井のように。見つける人があるだろうかと思うので。
- 鑑賞
-
317 びんなき所にて
都合の悪い場所で人と会って話していたところ、胸がひどく高鳴った。それを見て、どうしてそんなに、と言った人に対して詠んだのがこの歌である。
相手の人物については、本文に名も身分も記されていない。
場所は、人目につくとまずい所とのみ記され、具体的には示されない。
胸の高鳴りを相手に指摘され、その理由を問われたことが、この歌が詠まれた直接の契機である。
本文はこの歌を掲げるのみで、相手の返しは記されていない。
初句「逢坂は」は、山城と近江の境にあった関の名であり、その名が「逢ふ」を含むことから、古来、男女が逢うことの比喩として詠まれてきた歌枕である。ここでは、人目を忍んで会っているこの場そのものを逢坂と言いかえている。
第二句「胸のみつねに」は、胸ばかりが絶えずの意で、「のみ」が限定して、動じているのは心臓だけだと示す。第三句「走り井の」は、逢坂の関にあった名高い泉の名であり、同時に、前句の「走る」を受けて「胸が走る」という言い方を成立させている。地名でありながら動詞として機能する、掛詞の要となる句である。
第四句「見つくる人や」の「見つく」は見つける意、「や」は疑問の係助詞である。結句「あらむと思へば」は、あるだろうかと思うのでの意で、「ば」が理由をあらわし、胸の高鳴る原因を最後に明かして歌を閉じる。
逢坂と走り井は関の名所どうしで縁語をなし、その走り井が胸の鼓動に転じ、さらに逢坂の「逢ふ」が二人の逢瀬を指す。三つの語がそれぞれ地名としての顔と心情としての顔を持ち、地図の上の一点を心の状態に丸ごと置きかえている。
同じ逢坂を詠んだ一三六段の「夜をこめて鳥の空音ははかるとも世に逢坂の関はゆるさじ」が、関を通さないと拒む側に立つのに対し、この歌はすでに関の内側にいる者の落ち着かなさを詠んでおり、同じ歌枕が正反対の立場で用いられている。
びんなし:都合が悪い。具合が悪い
逢坂:山城と近江の境にあった関。「逢ふ」を掛けて詠まれる歌枕
のみ:…ばかり
走り井:逢坂の関にあった泉の名。勢いよく流れ出る泉
胸走る:胸がどきどきする
見つく:見つける。発見する
や:疑問をあらわす係助詞
ば:已然形に接続して順接の確定条件をあらわす
関(せき):通行を検査するために設けた施設
- 作者
-
清少納言
- 出典
-
枕草子
- その他の歌
-