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かけてこそ思はざりしかこの世にて
しばしも君に別るべしとは

歌の意味
少しも思わなかった。この世で、ほんのしばらくのあいだでも、あなたと別れることになろうとは。
鑑賞
第十八段 父の常陸介拝命

 親がしかるべき地位に立てば自分の身も高くなるだろうなどと、あてにならないことを思って過ごすうちに、父はようやく、はるかに遠い東国の国司に任じられた。
 父は夜も昼も嘆く。長年、都に近い国の国司になったら、まず思う存分お前を大切にして任国に連れ下り、海山の景色を見せ、それはそれとして、自分の身よりも高くもてなしてやろうと思っていた。自分もお前も前世の運がつたなかったので、とうとうこんなに遠い国になってしまった。幼いお前を東国に連れ下ったときでさえ、自分の具合が少しでも悪ければ、この子をこの国に見捨てて途方に暮れさせることになるのかと思った。よその国の恐ろしさにつけても、わが身ひとつなら気楽だろうに、大勢を引き連れて、言いたいことも言えず、したいこともできないのがつらかった。今はまして大人になったお前を連れ下って、自分の命がどうなるかもわからない。京の中でさすらうのはよくあることだが、東国の田舎人となって迷うのはあまりに悲惨だ。京にとどめるとしても、頼りにして引き取ってくれるような親族もない。そうかといって、わずかに得た国を辞退するわけにもいかないから、京に残していって、これが永い別れになってしまうだろう。京でしかるべく身の振り方を整えてから残していこうとも、思いつくことではない――そう嘆くのを聞く心地は、花や紅葉の思いもみな忘れるほど悲しかったが、どうしようもない。
 七月十三日に父は下る。五日前ともなると、顔を合わせるのもかえってつらいので、部屋にも入って来ない。まして当日は立ち騒いで、時刻になると、今はこれまでと簾を引き上げて、たがいに見交わして涙をほろほろと落とし、そのまま出ていくのを見送る心地は、目もくらんで、そのまま突っ伏してしまった。京にとどまる下男が、途中まで見送って帰り、懐紙に一首が書きつけてあるのを持ち帰るが、涙で見ることもできない。事が平穏なときであれば下手な歌なりに思い続けもしようが、何を言えばよいかも思いつかないままに、作者も一首を返した。
 人の訪れもいっそう絶えて、寂しく心細く物思いに沈みながら、今ごろどのあたりだろうかと明け暮れ思いやる。道のりも知っているだけに、恋しく心細いことはこの上ない。明けてから暮れるまで、東の山際を眺めて過ごすのであった。

 作者は菅原孝標女。父の菅原孝標は、長元五年(一〇三二)に常陸介に任じられ、単身で任地へ下った。母は藤原倫寧の娘で、『蜻蛉日記』の作者藤原道綱母の異母妹にあたる。常陸は東海道の東の果てにあたる国で、作者が幼い日を過ごした上総よりもさらに遠い。

 長元五年(一〇三二)七月十三日、父が常陸へ下った当日。京の家である。

 見送りから帰った下男が持ち帰った懐紙に「思ふこと心にかなふ身なりせば秋の別れを深く知らまし」と書きつけてあり、それに対する返しとして詠まれた。

 この贈答をもって父の下向の場面は閉じられ、以後、作者は人の訪れも絶えた家で、明けてから暮れるまで東の山際を眺めて日を送る。父が任地から便りを寄こす場面は、次の段に置かれる。

 初句「かけてこそ」の「かけて」は、下に打消の語を伴って、少しも、まったく、の意を表す。「こそ」は強意の係助詞で、結び「思はざりしか」の「しか」が過去の助動詞「き」の已然形にあたる。第三句「この世にて」は、生きているこの世で、の意。第四句「しばしも君に」の「しばし」はほんの少しのあいだ、で、「も」がそれを強め、ほんの少しの間でさえ、となる。結句「別るべしとは」の「べし」は当然や推量を表す助動詞で、「とは」は上の「思はざりしか」に係る形になっており、語順が入れ替わっている。父の歌が「秋の別れ」と季節の言葉を用いて別れを味わう余裕のなさを述べたのに対し、こちらは季節の言葉をいっさい使わず、ただ「別る」とだけ言う。地の文が、何を言うべきかも思いつかないままに、と記しているとおり、技巧を凝らさない一首であり、それがかえってこの場面の切迫を伝えている。同じ段の「思ふこと心にかなふ身なりせば秋の別れを深く知らまし」と並べて読むと、別れを歌の型に収めようとする父と、型に収まらない娘との違いが際立つ。

山ぎは:山の稜線と空とが接するあたり
作者
菅原孝標女
出典
更級日記
その他の歌