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あさくらや今は雲居に聞くものを
なほ木のまろが名のりをやする

歌の意味
朝倉の――今はもう宮中の人としてお名前を聞いているのに、それでもなお、木の丸殿の昔のように名のりをなさるのですか。
鑑賞
第十七段 継母の名のりを責める
将来についてのはかない空想

 継母であった人は、父が下った国の名を女房名として、宮中に出仕してからもその名で呼ばれていた。ほかの人と縁を結んだのちも、なおその名で呼ばれていると聞いて、父が、今となっては不都合であるという旨を言い送ろうと言うので、この歌が書き送られた。
 このころの作者は、親がしかるべき地位に立てば自分の身も高くなるだろうなどと、あてにならないことばかりを思い続けていた。近ごろの世の人は十七、八のころから経を読み行いもするというのに、そうしたことは思いもよらず、かろうじて思いつくのは、たいそう高貴で、容貌も物腰も物語の光源氏のような人が年に一度でも通ってきてくれて、浮舟の女君のように山里に隠し据えられ、花や紅葉や月や雪を眺めて心細く暮らし、すばらしい手紙を時々待ち受けたい、といったことばかりであった。作者はそれを、あらましごと、すなわち勝手な当てごとにすぎなかったと書きとめている。

 作者は菅原孝標女。父は菅原孝標。継母なりし人は、もと宮仕えをしていて父に従い上総に下り、のちに家を出た人で、父の任国であった国の名を女房名として宮中で呼ばれていた。当時、女房は父や夫の官職、または縁のある国の名を女房名としたので、離縁した夫の任国の名を名のりつづけることが問題になる。「宮」は宮中を指す。

 父が常陸介となる前後のころ。京の家から、宮仕えする継母なりし人のもとへ言い送ったものである。

 継母なりし人が、ほかの人と縁を結んだのちも、なお父の任国の名を女房名として名のっていると聞き、父が、今となっては不都合である旨を言い送ろうと言い出したことが、この歌の直接の契機である。

 返歌は記されていない。継母なりし人との歌のやり取りは、第九段の梅の立ち枝の贈答、第十四段の墓参をめぐる歌に続いて、これが三度目にあたる。

 この歌は『新古今集』雑歌に天智天皇の作として載る「朝倉や木の丸殿にわれ居れば名のりをしつつ行くは誰が子ぞ」を踏まえている。筑前の朝倉に、皮をはがない丸木のままの木で造った御殿に住まわれたとき、訪ねて来る者に必ず名のりをさせたという故事によるもので、「木の丸殿」と「名のり」との結びつきがこの歌の骨組みになっている。

 初句「あさくらや」は本歌の初句をそのまま置いたもので、「木のまろ」「名のり」を導く序の働きをする。第二句「今は雲居に」の「雲居」は宮中のことで、相手が今は宮仕えの身であることをいう。第三句「聞くものを」の「ものを」は逆接や詠嘆を表す接続助詞で、聞いているのに、と言いさす。第四句「なほ木のまろが」は本歌の「木の丸殿」を承け、そこで名のりをさせたという故事に寄せる。結句「名のりをやする」の「や」は疑問の係助詞で、結び「する」が連体形にあたる。他の人と縁を結んだのちも以前の任国の名を女房名として名のりつづけていることを、本歌の故事にすっかりくるんで問いただしており、非難の言葉は一語も使われていない。第九段で継母に贈った「頼めしをなほや待つべき霜枯れし梅をも春は忘れざりけり」も、責める内容を花にかこつけて述べていた歌であり、この相手に対して作者が取る構えは一貫している。

雲居:雲のある所。転じて宮中
木の丸殿(きのまろどの):皮をはがない丸木のままの木で造った御殿
名のり:自分の名を告げること。また、女房としての呼び名
宮:宮中
こと人:ほかの人
あらましごと:こうもあろうかと思いめぐらす当てごと
出典
更級日記
その他の歌