とどめおきてわがごとものや思ひけむ
見るにかなしき子しのびの森
- 歌の意味
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子をあとに残して来て、私と同じように物思いをしたのだろうか。見るにつけても悲しい、子しのびの森よ。
- 鑑賞
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第十九段 太秦参詣
父の便り
八月ごろ、太秦の寺に参籠するため、一条大路を経て詣でる道すがら、男車が二つほど止めてあり、連れ立って物詣に行く相手を待っている様子である。その前を通り過ぎると、随身めいた者をよこして、花見に行くのだとあなたを見ました、と言わせてきた。このような風流な問いかけに答えないのも無粋だと同行の人が言うので、作者は上の句だけを付けて言わせ、そのまま行き過ぎた。
七日のあいだ参籠しているあいだも、ただ東国の父のことばかりが思いやられ、物語に耽るとりとめのない空想からはかろうじて離れて、無事に会わせてくださいと祈った。仏もふびんに思って聞き入れてくださっただろう。
冬になって、一日中雨が降り暮らした夜、雲を吹き払う風が激しく吹き、空が晴れて月がたいそう明るくなった。軒近くの荻がひどく風に吹かれて砕け乱れるのがしみじみと哀れで、作者は一首を詠む。
東国から人が来た。父の便りには、神拝という行事で国の中を回っていたところ、水が趣深く流れる野がはるばると広がり、木の群がっている所があった、趣深い所だ、お前に見せてやれないのが残念だと、まずお前のことを思い出して、ここは何という所かと尋ねたら、子しのびの森と申します、と答えたのが身につまされてたいそう悲しかったので、馬から下りてそこに二時のあいだ眺め入っていた、として一首が記されていた。それを見る心地は言うまでもない。作者は返事に一首を詠んだ。
作者は菅原孝標女。父の菅原孝標は長元五年(一〇三二)に常陸介として東国に下り、任地から便りを寄こした。男車の主とその使いの者については、原文に名も素性も記されていない。太秦は京の広隆寺のことで、参籠の地として知られた。神拝は国司が赴任してまず行う行事で、任国内の神社を巡拝する。
父が任地に下ってのち、神拝のために国の中を回っていた折。常陸の国の、子しのびの森と呼ばれる所である。
水が趣深く流れる野に木の群がっている所を見て、娘に見せてやれないのが残念だとまず思い、土地の名を尋ねたところ、子しのびの森と答えられた。その名が身につまされて悲しく、馬から下りて二時のあいだ眺め入った末に詠まれた。
この歌は便りに書きつけられて京へ届き、作者はそれを読んで「子しのびを聞くにつけてもとどめ置きしちちぶの山のつらきあづま路」と返した。父との再会は、このあと数年を経てのことになる。
初句「とどめおきて」は、あとに残して来て、の意で、字余りになっている。娘を京に残してきた自分の身の上を、そのまま森の名に重ねる導入である。第二句「わがごとものや」の「や」は疑問の係助詞で、結び「思ひけむ」の「けむ」が過去推量の助動詞の連体形にあたる。この森に名を付けた昔の人も、自分と同じように子を思って嘆いたのだろうか、と問う形になる。第四句「見るにかなしき」は、見るにつけて悲しい、の意。結句「子しのびの森」は体言止めで、地名がそのまま歌の主題として据えられている。国司が赴任してまず行う神拝の道すがら、たまたま尋ねた地名が「子しのび」であったという偶然が一首を生んでおり、馬から下りて二時のあいだそこを眺めていたという地の文の記述が、歌の背後にある時間の長さを示している。前の段で父が詠んだ「思ふこと心にかなふ身なりせば秋の別れを深く知らまし」が、別れを味わう余裕のなさを述べたものであったのに対し、この歌は、任地でその別れをあらためて味わっている姿を伝えている。
とどめおく:あとに残しておく
子しのびの森:常陸の国にあったと伝えられる森の名
神拝(じんぱい):国司が赴任して最初に行う、国内の神社を巡拝する行事
木むら:木が群がって生えている所
二時(ふたとき):およそ四時間
身によそふ:自分の身に引き比べる
- 作者
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菅原孝標
- 出典
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更級日記
- その他の歌
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