逢坂の関のせき風吹く声は
昔聞きしに変はらざりけり
- 歌の意味
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逢坂の関を吹く関風の音は、昔聞いたのと変わらないのだなあ。
- 鑑賞
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第二十七段 石山詣で
十二月の二十日過ぎ、作者は石山寺に参詣する。雪が降り続いて、道中の景色までも趣深い。逢坂の関を見るにつけても、昔ここを越えたのも冬であったと思い出されるが、ちょうどそのとき風がたいそう荒く吹いた。作者はそれに寄せて一首を詠む。
関寺が立派に造られているのを見るにつけても、あのとき荒造りの御顔ばかりを拝んだことが思い出されて、年月の過ぎたのもしみじみと感じられる。打出の浜のあたりなども、昔見たのと変わらない。暮れかかるころに詣で着いて、身を清めて御堂に上るころには人の声もせず、山風が恐ろしく思われて、勤行のさなかにうとうととまどろんだ。
作者は菅原孝標女。逢坂の関は山城と近江との境にある関、石山は近江の石山寺、関寺は逢坂の関のそばにあった寺、打出の浜は琵琶湖の岸辺である。作者が「昔越えし」と言うのは、十三歳の年に上総から上京した旅で、十二月に逢坂の関を越えたことを指す。
十二月の二十日過ぎ。石山寺へ向かう道中、逢坂の関のあたりである。
雪の降るなか逢坂の関を見て、昔ここを越えたのも冬であったと思い出されたところへ、折しも風がたいそう荒く吹いた。それが、この歌の直接の契機である。
独詠であり、返歌は記されていない。このあと関寺と打出の浜を過ぎ、暮れかかるころに石山寺へ詣で着く。
初句「逢坂の」で地名を据える。第二句「関のせき風」は、関のあたりを吹く風のことで、「関」の語を重ねて音を畳みかけている。第三句「吹く声は」の「声」は、風を人のように扱う言い方で、下の「聞きし」を導く。第四句「昔聞きしに」の「し」は過去の助動詞「き」の連体形で、上京の旅でここを越えたときを指す。結句「変はらざりけり」の「けり」は気づきの詠嘆で、変わらないのだなあ、と結ぶ。風の音だけが昔のままである、という言い方は、裏を返せばそれ以外はみな変わったということであり、直後の地の文が、関寺が立派に造られたのを見て年月の過ぎたことをしみじみと思う、と記しているのと、ちょうど向かい合っている。上洛の旅を詠んだ「まどろまじ今宵ならではいつか見むくろとの浜の秋の夜の月」から数十年を経て、同じ道筋がふたたび歌の場になっている。
逢坂の関:山城と近江との境にあった関
せき風:関のあたりを吹く風
関寺:逢坂の関のそばにあった寺
荒造り:仏像などをまだ仕上げていない状態
打出(うちいで)の浜:琵琶湖の岸辺
行ひさす:勤行を途中でやめる
- 作者
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菅原孝標女
- 出典
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更級日記
- その他の歌
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