音にのみ聞きわたり来し宇治川の
網代の波も今日ぞかぞふる
- 歌の意味
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噂にばかり聞き渡ってきた宇治川の、その網代の波も、今日はこうしてこの目で数えることだ。
- 鑑賞
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第二十八段 初瀬詣で
その翌年の十月二十五日、大嘗会の御禊で世間が大騒ぎをしているなか、作者は初瀬詣での精進を始めて、よりによってその日に京を出た。しかるべき人々は、一代に一度の見物で、田舎の者でさえ上って見るというのに、月日はいくらでもあるのに、その日に限って京を離れるとは、と言って非難し、笑いさえした。兄弟である人が、そうまで思い立ったのならそのようにせよ、と言って送り出してくれる。従う人々も見物を惜しがっている様子なのが気の毒であったが、見物をしたところで何になろう、このように思い立った心を仏もあわれと思ってくださるだろう、必ず御利益はあるはずだ、と思い立った。
良頼の兵衛督と申した人の家の前を通り過ぎると、その家から桟敷へ渡られるところなのであろう、門を広く押し開けて人々が立っており、あれは物詣の者らしいな、月日はいくらでもあろうに、と笑う。そのなかに、どういう心ある人であろうか、一時の目を肥やして何になろう、これほど思い立って、仏の御徳を必ず受けるはずの人であろう、つまらぬことだ、見物などせず、こうこそ思い立つべきであった、と、まじめに言う人が一人だけあった。
夜深く京を出たので、人々は疲れて法性寺の大門にしばらく休んだ。やがて宇治の渡りに行き着くと、そこでも舟を争う人々が騒いでいる。作者は、宇治の大将が女君を隠し据えたというのはこのあたりであろうか、などとまず思い出され、川面を眺めて一首を詠んだ。
作者は菅原孝標女。良頼の兵衛督は源良頼で、兵衛督を務めた。大嘗会は天皇が即位ののち初めて行う新嘗祭で、その御禊は天皇が賀茂川で身を清める儀式であり、一代に一度の大行事とされた。初瀬は大和の長谷寺、法性寺は京の南にあった寺、宇治は山城の宇治川の渡し場である。「宇治の大将」は『源氏物語』の薫大将のことで、宇治十帖で女君を宇治に隠し据えた人物である。
永承元年(一〇四六)十月二十五日。京を夜深く出て、山城の宇治の渡し場に着いたときである。
舟を争う人々が騒ぐなか、ここは物語で宇治の大将が女君を隠し据えたあたりであろうかと思い出され、名だけを聞いてきた宇治川をはじめて目にしたことが、この歌の直接の契機である。
独詠であり、返歌は記されていない。一行はこののち栗駒山や柞の森などを越えて初瀬へ向かい、参籠の日々が続く。
初句「音にのみ」は、噂にばかり、の意で、「音」は評判や噂をいう。第二句「聞きわたり来し」の「わたる」は、ずっと…し続ける、の意を添える補助動詞であるが、下に「宇治川」が来るため、川を渡る意が響いており、「来し」の「し」は過去の助動詞「き」の連体形である。第三句「宇治川の」で地名を据え、第四句「網代の波も」の「網代」は、冬に氷魚を捕るために川に仕掛ける竹や木の簀のこと。結句「今日ぞかぞふる」は強意の係助詞「ぞ」と連体形「かぞふる」の係り結びで、今日こそ数えることだ、と結ぶ。噂に聞くばかりだったものを今日はじめて目にした、という感慨を、波を数えるという具体的な動作に置き換えており、「わたる」「川」「網代」「波」が縁語として連なる。地の文が、『源氏物語』の宇治の大将が女君を隠し据えたあたりであろうかと真っ先に思い出した、と記しているとおり、この地は作者にとって物語の中の土地であり、その土地を実際に目にしたことが一首の背後にある。
音(おと):評判。噂
わたる:ずっと…し続ける。ここでは川を「渡る」意も響く
網代(あじろ):冬、氷魚を捕るために川に仕掛ける竹や木の簀
大嘗会(だいじやうゑ):天皇が即位ののち初めて行う新嘗祭
御禊(ごけい):大嘗会に先立ち、天皇が賀茂川で身を清める儀式
精進:身を清め、魚肉などを避けること
桟敷(さじき):行列などを見物するために設けた高い席
宇治の大将:『源氏物語』宇治十帖の薫大将
- 作者
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菅原孝標女
- 出典
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更級日記
- その他の歌
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