大はこの神の助やなかりけむ
ちぎりしことをおもひかへるは
- 歌の意味
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大はこの神の助けがなかったのだろうか。約束したことを思い返して、帰っておしまいになるとは。
- 鑑賞
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その雨の中を兼家がやって来た。しかし夜のうちに雨がやんだので、それでは暮れにまた、と言って帰って行き、方角が塞がっていたので結局は来なかった。鳴滝の山籠りののち、雨に降られてばかりいるというので、あまがへるというあだ名をつけられていた作者が、兼家に対して詠んだ歌である。これをもって中巻は閉じる。
作者は藤原倫寧の娘。兼家は藤原師輔の三男で、のちに摂政関白太政大臣に至る。方塞がりは、陰陽道で行こうとする方角が塞がっていることをいい、そのときは別の日や別の道を選んだ。あまがへるは雨蛙のことで、作者につけられたあだ名である。
天禄二年十二月、年の暮れのことで、場所は作者の住まいである。
雨の中を兼家がやって来たが、夜のうちに雨がやんだので、それでは暮れにまた、と言って帰って行き、方角が塞がっていたので結局は来なかった。それに対して詠み送った歌である。
地の文は、嘆きを尽くして年が暮れたと記す。この一首をもって中巻は閉じ、以後は下巻に移る。
初句の「大はこの神」は原文の語で、読みも語義も定まらない。二句の「助やなかりけむ」は、その助けがなかったのだろうか、と推量で問う形で、約束が果たされなかったことを神の加護のなさに帰する言い方になる。人を責めずに神を持ち出すのは、恨みを直接に言わないための構えであり、この日記では稲荷や賀茂へ奉った歌にも通じる手つきである。四句の「ちぎりしこと」は、暮れにまた来ようと約束したことをさす。結句の「おもひかへるは」の「かへる」は、思い返して考えを改める意と、帰るという意との掛詞で、この一語が歌の要にあたる。約束を思い返して取りやめ、そのまま帰ってしまった、という二つの動作が一語に収まる。さらに、山籠りののち作者につけられた、あまがへるというあだ名が背景にあり、蛙の音がここに響いているとも読める。雨に降られてばかりいると笑われた当人が、雨がやんだために来てもらえなかったという皮肉が、あだ名の一語を通してこの歌に加わっている。中巻を閉じる位置にありながら、格別の感慨を述べず、その場の恨みを言うにとどまる点は、上巻の結びとも通じる。
かへる:「帰る」に、考えを「返す」意を掛ける。
あまがへる:雨蛙。山籠りののち作者につけられたあだ名。
方塞がり(かたふたがり):陰陽道で、行こうとする方角が塞がっていること。
- 作者
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藤原道綱母
- 出典
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蜻蛉日記
- その他の歌
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