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かなしくも思ひ絕ゆるかいそのかみ
さはらぬものとならひしものを

歌の意味
悲しくも、思いは絶えてしまうのか。いそのかみ、昔は障りにならないものと慣れていたのに。
鑑賞
 十二月の十六日ごろ、兼家が、今すぐにでも伺いたい、などと言ってきた。ところが急に空が曇って激しい雨が降り出す。昔とは違って今は来られないというので、作者は使者を立てて歌を詠み送った。
 作者は藤原倫寧の娘。兼家は藤原師輔の三男で、のちに摂政関白太政大臣に至る。上巻にも、雨風をものともせずに通ってきた昔を女房が回想する場面があり、雨は兼家の訪れを測る物差しとして繰り返し用いられる。
 天禄二年十二月十六日ごろのことで、場所は作者の住まいである。
 兼家が、今すぐにでも伺いたい、などと言ってきたところへ、急に空が曇って激しい雨が降り出した。昔とは違って今は来られないというので、使者を立てて詠み送った歌である。
 この歌ののち、兼家はその雨の中をやって来る。しかし夜のうちに雨がやむと、それでは暮れにまた、と言って帰り、方角が塞がっていたので結局は来なかった。

 初句の「かなしくも」は、悲しくも、の意で、嘆きから歌を起こす。二句の「思ひ絕ゆるか」は、思いは絶えてしまうのか、と問う形で、雨を口実に来られないという知らせを、心の絶え間として受け取る。三句の「いそのかみ」は大和の地名で、古る、昔といった語を導くのに用いられ、ここでは四句以下の昔の話を呼び込む働きをする。四句の「さはらぬもの」は障りにならないもの、の意で、雨風が訪れの妨げにならなかった昔をさす。結句の「ならひしものを」の「ものを」は逆接で言いさし、そう慣れていたのに、と言い終える。下に続くはずの言葉は置かない。雨が降れば来られないという今の言い分に対し、昔はそうではなかったと突きつける形であり、上巻以来この日記で繰り返されてきた、雨を訪れの物差しとする詠み方がここでも働いている。地名一つを挟んで昔と今とを対置する構成が簡潔で、恨みを一語も用いずに恨みを述べている。

いそのかみ:大和の地名。「古る」「昔」などを導く。
さはる:差し支える。妨げとなる。
ならふ:慣れる。習慣となる。
作者
藤原道綱母
出典
蜻蛉日記
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