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うへしたにこがるゝことをたづぬれば
胸のほかには鵜船なりけり

歌の意味
上に下にと焦がれ、漕ぎめぐるものを尋ねてみると、我が胸のほかには鵜船であったのだ。
鑑賞
 兼家がようやく訪れる。やがて初瀬の精進をして、再び初瀬に詣でることになった。その道の途中、宇治で夜になり、多くの鵜舟が篝火をともして宇治川を上り下りし、行き違うのを見ながら歌を詠んだ。
 作者は藤原倫寧の娘。初瀬は大和の長谷寺で、観音の霊験を求めて詣でる人が多かった。宇治は都から初瀬へ向かう道筋にあたり、鵜舟は篝火をともして鵜を使い魚を捕る舟である。上巻の初瀬詣での帰路にも、宇治の網代を詠んだ歌がある。
 天禄二年、再びの初瀬詣での道中のことで、場所は夜の宇治川である。
 初瀬へ向かう途中、宇治で夜になった。多くの鵜舟が篝火をともして宇治川を上り下りし、行き違うのを見ながら詠まれた歌である。
 誰かに贈られたものではなく、心のうちにとどまった。このあと兼家が訪れ、山寺だよりなどののち、九月末の時雨の日の嘆きへと続いていく。

 初句の「うへしたに」は、上へ下へと、の意で、川を上り下りする舟の動きをそのまま言う。二句の「こがるゝ」の「こがる」は舟を漕ぐ意の「漕がる」と、思い焦がれる意の「焦がる」との掛詞で、この一語が歌の要にあたる。舟が漕ぎめぐる姿と、胸の焦げる思いとが、一語のうちで重なる。篝火をともした舟であるから、焦がれるという語には火の縁も働いている。三句の「たづぬれば」は、探してみると、の意で、四句以下の答えへ渡す。四句から結句の「胸のほかには鵜船なりけり」は、焦がれているものは我が胸のほかには鵜船だけであった、の意で、「けり」が気づきをあらわす。夜の川に火をともして上下する舟の群れを見て、同じように焦がれるものが自分のほかにもあったと知る形になる。上巻の初瀬詣での帰路では、霧の下に見える網代を趣深いと詠んだが、あちらが迎えに来た兼家との贈答であったのに対し、こちらは誰にも見せない独詠であり、同じ宇治川の景でも位置づけが異なる。

鵜船(うぶね):篝火をともし、鵜を使って魚を捕る舟。
こがる:「漕がる」に「焦がる」を掛ける。
初瀬(はつせ):大和の長谷寺。観音の霊験を求めて詣でる。
作者
藤原道綱母
出典
蜻蛉日記
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