妹背川むかしながらのなかならば
人のゆきゝのかげは見てまし
- 歌の意味
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妹背川が昔ながらの仲であったなら、人の行き来する姿を見ることもできたでしょうに。
- 鑑賞
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鳴滝の山寺に籠って日を重ねるうち、道隆が訪れ、父倫寧が迎えに来、最後は兼家の迎えによって下山した。下山した日のありさまも、その後の兼家の変わらぬ振る舞いも、以前と同じである。そのころ、作者がまだ鳴滝の山寺にいるものと思って、内侍のかんの殿から歌が届いた。作者はそれに応えて返した。
作者は藤原倫寧の娘。内侍のかんの殿と呼ばれるのは兼家の姉妹にあたる人で、原文は人名を記さない。藤原登子とされ、この二年前に尚侍となった。尚侍は内侍司の長官である。兼家は藤原師輔の三男で、のちに摂政関白太政大臣に至る。
天禄二年、作者が下山してのちのことで、場所は内侍のかんの殿の御所である。
作者がまだ鳴滝の山寺にいるものと思って詠んでこられた歌である。すでに下山していたことをご存じなかった。
これに対して作者は「よしや身のあせむなげきは妹背山なか行く水の名もかはりけり」と返した。
初句の「妹背川」は大和の歌枕で、妹山と背山との間を流れる川をいう。妹背という語は男女や親しい者どうしの仲をあらわすから、川の名がそのまま人と人との間柄を導く。二句の「むかしながらの」は、昔のままの、の意。三句の「なかならば」の「なか」は、仲であるとともに川の中をも意味し、この一語が景と心とを結ぶ。妹背川が昔ながらに二つの山の間を流れているように、二人の仲も昔のままであったなら、という条件になる。四句の「人のゆきゝ」は人の行き来のことで、川を渡って通う姿をいう。結句の「かげは見てまし」は反実仮想で、その姿を見ることもできたでしょうに、の意になる。籠っている相手を訪ねることもできないという嘆きであるが、実際にはすでに下山していたのだから、行き違いのまま届いた歌ということになる。上巻でもこの人との贈答は、垣一つ隔てた近さや、持ち違えられた文といった、距離のずれを主題にすることが多く、ここでもまた相手の居所を取り違えたまま歌が交わされている。
妹背川:大和の歌枕。妹山と背山の間を流れる川。「妹背」は親しい仲をいう。
なか:「仲」に川の「中」を掛ける。
まし:事実に反することを想像していう。
- 出典
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蜻蛉日記
- その他の歌
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