いつとても身の憂きことは変はらねど
昔は老いを嘆きやはせし
- 歌の意味
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いつであっても我が身のつらさは変わらないけれども、昔は老いを嘆くことなどしただろうか、いや、しなかった。
- 鑑賞
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巻第十七 雑歌中 1080
詞書は前の歌に続き「述懐歌とて詠める」
述懐の歌として詠んだ歌である。いつでも身のつらさは変わらないが、昔は老いを嘆くことなどしただろうか、と詠む。不遇の嘆きは若いころから変わらないが、昔はそれに老いの嘆きまでは加わっていなかった。年を重ねた今は、変わらぬ憂さに老いの悲しみが重なっていると、晩年の身の重い嘆きを詠んでいる。
作者の「道因法師」は藤原敦頼である。藤原清孝の子で、出家して道因と号した。老年に至るまで和歌に深く打ち込んだことが伝えられる。
前歌の第千七十九首と同じ詞書で、ともに年を経た身の思いを述べる。前歌が今さら世を憂しとも思わないと詠むのに対し、本歌は老いの嘆きが新たに加わったと詠み、対照をなしている。
初句「いつとても」は、いつであっても、の意である。
二句「身の憂きことは」は、我が身のつらいことは、の意である。
三句「変はらねど」の「ね」は打消の助動詞「ず」の已然形、「ど」は逆接で、変わらないけれども、の意である。
四句「昔は老いを」は、昔は老いを、の意で、今との対比を示す。次歌の第千八十一首の初句「いにしへも」と、昔を思う心を共有する。
結句「嘆きやはせし」の「やは」は反語、「し」は過去の助動詞「き」の連体形で、嘆いたことがあっただろうか、いやなかった、の意である。
おい:年をとること、老年
- 作者
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道因
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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数ならで年経ぬる身は今さらに 世を憂しとだに思はざりけり
- 次の歌
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いにしへも底に沈みし身なれども なほ恋しきは白川の水