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頼めしをなほや待つべき霜枯れし
梅をも春は忘れざりけり

歌の意味
あてにさせておきながら、それでもまだ待たなければならないのだろうか。霜に枯れていた梅でさえ、春は忘れずに訪れて花を咲かせたというのに。
鑑賞
第九段 物語への憧れ 継母との別れ

 十二月に京へ入った一行は、三条の宮の西にある家に落ち着く。そこは広々と荒れた土地で、越えてきた山々にも劣らないほど大きく恐ろしげな木々が茂り、都の中とも見えない有様であった。まだ住み馴れず何かと騒がしいなかでも、作者の心は上京前から待ちわびていた物語のことでいっぱいで、物語を探して見せてほしいと母をせがみつづける。母が三条の宮に仕える親族の衛門の命婦に手紙をやると、命婦は珍しがり喜んで、御前から下賜されたという立派な冊子を硯の箱の蓋に載せて贈ってくれた。作者は嬉しくてならず、夜も昼もこれを読みふけるが、読み終えればまた次が見たくなる。まだ都に馴染まぬ身では、物語を探して見せてくれる人などいない。
 そのころ、継母であった人が父との仲がうまくいかず、家を出ていくことになる。五歳ほどの幼い子どもたちを連れ、あなたのやさしかった心根は忘れることがないでしょう、などと言い、軒端近くにある大きな梅の木を指して、この花が咲くころには来ますよ、と言い残して去っていった。作者は心の中で恋しく思いながら人知れず泣くばかりで、その年も暮れた。早く梅が咲いてほしい、咲いたら来てくれると言ったのは本当だろうかと、梅を見つめて待ち続けたが、花がすっかり咲いても音沙汰がない。思いあぐねて、作者は花を折り、歌を添えて送った。

 作者は菅原孝標女。父の菅原孝標は菅原道真の五世孫にあたり、上総介の任を終えて帰京した。母は藤原倫寧の娘で、『蜻蛉日記』の作者藤原道綱母の異母妹にあたる。継母なりし人は、もと宮仕えをしていた女性で、父に従って上総に下った人である。三条の宮は一条天皇の第一皇女修子内親王、衛門の命婦はその御所に仕えた作者の親族の女房である。

 治安元年(一〇二一)の初春、梅の花が咲きそろったころ。京の三条の宮の西にある家である。

 梅が咲いたら訪ねると言い残して去った継母から、花が咲きそろっても便りがない。待ちわびた末に、作者が梅の花を折り、それに添えて送ったのがこの歌である。

 継母はしみじみと心のこもったことを書き連ね、その末に「なほ頼め梅の立ち枝は契りおかぬ思ひのほかの人も訪ふなり」と返した。しかし約束が果たされたとは記されない。継母なりし人はこののちしばらく日記に姿を見せず、姉の死をめぐる贈答の場面で再び現れ、のちの段でも作者と歌を交わす。

 初句「頼めしを」の「頼め」は下二段動詞「頼む」の連用形で、相手に期待させる、あてにさせるという意味である。「し」は過去の助動詞「き」の連体形、「を」は逆接の接続助詞で、あてにさせておきながら、と継母の言葉を受けて切り出す。第二句「なほや待つべき」の「や」は疑問の係助詞で、結びの「べき」は連体形。まだ待たなければならないのか、という訴えになる。第三句「霜枯れし」は冬のあいだ霜に枯れていた、の意で、下の「梅」にかかる。第四句「梅をも春は」の「をも」は、そんな枯れた梅でさえ、という強調であり、「春」は擬人化されて、忘れずに訪れる者として立てられている。結句「忘れざりけり」の「けり」は気づきの詠嘆で、春でさえ忘れなかったのに、という含みを残して言い切る。再会の目印であったはずの梅を、忘れなかった春と、忘れてしまった継母とを対比させる道具に転じたところに、この歌の要がある。

頼め:下二段動詞「頼む」の連用形。相手に期待させる、あてにさせる
衛門の命婦:宮仕えの際の女房名。「命婦」は後宮の職員をいう
硯の筥の蓋:硯箱の蓋。当時は物を贈るときに盆の代わりに用いた
忍び音を泣く:声を忍ばせて泣く
作者
菅原孝標女
出典
更級日記
その他の歌