鳥辺山谷に煙の燃え立たば
はかなく見えし我と知らなむ
- 歌の意味
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鳥辺山の谷に煙が立ちのぼったなら、はかなげに見えたあの私が煙になったのだと知ってほしい。
- 鑑賞
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第十段 乳母の死 源氏物語に読みふける
物語を読みふけりたいと願う日々のなかで、その春は疫病が流行して世の中が騒然とし、上総からの旅の途中、松里の渡りで月の光に照らされた姿をしみじみと見たあの乳母が、三月一日に亡くなった。作者はどうしようもなく嘆き、物語を読みたいという気持ちさえ失せてしまう。泣き暮らしてふと外を見やると、夕日が華やかに差すなかを、桜の花が残らず散り乱れていた。その景に寄せて一首を詠む。
また聞けば、侍従の大納言の御むすめも亡くなったという。その婿である殿の中将が嘆いておられる様子を、自分も悲しみの最中であるだけに、いっそうしみじみと聞く。上京したばかりのころ、これを手本にしなさいといってこの姫君の手蹟を与えられていたのを取り出して見ると、「さよふけてねざめざりせば」などと書き、続けて「鳥辺山……」の歌が、言いようもなく美しい筆跡で書きつけてあった。それを見て涙がいよいよあふれる。
その後、ふさぎこんでばかりいる作者を慰めようと、母が物語を求めて見せてくれ、やがて田舎から上京した叔母のもとを訪ねた折に、『源氏物語』五十余巻を櫃ごと、ほかの物語もあわせて贈られる。几帳の内に臥して一の巻から読みふける心地は后の位にも代えがたく、夢に清げなる僧が現れて法華経五の巻を早く習えと告げるのも心にとめず、作者はただ物語の世界に浸っていく。
作者は菅原孝標女。乳母は上総からの帰京の旅に同行し、松里の渡りで一行と別れた人である。侍従の大納言は藤原行成で、権大納言に至ったが侍従であった期間が長いためにこう呼ばれる。その娘は藤原道長の末子長家に嫁いだ。殿の中将はその長家を指し、「殿」は大殿すなわち道長のことである。
治安元年(一〇二一)三月、侍従の大納言の御むすめの訃報が届いたころ。京の家である。歌そのものが書かれたのは、それ以前、姫君の存命中である。
姫君の死を聞いた作者が、上京した当初に手本としてもらっていた姫君の手蹟を取り出して見たところ、「さよふけてねざめざりせば」という古歌の句とともに、この歌が美しい筆で書きつけてあった。それを目にしたことが、この歌が日記に記される契機である。
贈答ではないため返歌はない。作者はこれを見ていよいよ涙を添えることになり、乳母の死と重なって物語を読む気力を失う。その様子を案じた母が物語を求めて見せてくれたことが、『源氏物語』五十余巻を得る場面へとつながる。
この歌は『拾遺集』哀傷に見える歌で、姫君はそれを手習いとして書きつけたものである。あわせて記された「さよふけてねざめざりせば」は、『拾遺集』夏に収められた壬生忠見の歌「小夜ふけてねざめざりせば時鳥人づてにこそ聞くべかりけれ」の一節にあたる。
初句「鳥辺山」は京の東にあり、火葬の地として知られた土地の名で、地名を据えるだけで死のことだと分かる。第二句「谷に煙の」の「煙」は火葬の煙を指す。第三句「燃え立たば」の「ば」は未然形に付いて順接の仮定条件を表し、もし煙が立ちのぼったならば、の意になる。第四句「はかなく見えし」は、頼りなげに見えた、の意で、「し」は過去の助動詞「き」の連体形。生前の自分の姿を、見る人の目に映ったとおりに言う。結句「我と知らなむ」の「なむ」は他に対する願望を表す終助詞で、あれが私だと知ってほしい、と呼びかけて結ぶ。自分の死を先取りして詠む型の歌であり、作者はそれを姫君の手習いの中に見出したことになる。前に置かれた「散る花もまた来む春は見もやせむやがて別れし人ぞ恋しき」が散る花に人の死を重ねたのに対し、こちらは煙という具体物で死を示しており、二つの死が並べて置かれることで悲しみが重ねられていく。
鳥辺山:京の東にあり、火葬の地として知られた場所
手(て):筆跡。手蹟
侍従の大納言:藤原行成の呼び名。権大納言に至ったが侍従であった期間が長いことによる
殿の中将:藤原長家。「殿」は大殿藤原道長を指す
几帳:T字形の木組みに絹などを掛けて仕切りにしたもの
- 出典
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更級日記
- その他の歌
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