そこはかと知りてゆかねど先に立つ
涙ぞ道のしるべなりける
- 歌の意味
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そこが墓だと確かに知って行ったのではないけれど、先に立ってあふれる涙こそが道案内だったのだ。
- 鑑賞
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第十四段 姉の死
その五月の朔日に、姉が子を産んで亡くなった。よその人の死でさえ幼いころからひどく悲しいことと思ってきたのに、まして姉のこととあって、言いようもなく悲しく思い嘆かれる。母たちはみな遺体を安置した部屋にいて、作者は形見として残された幼い姪たちを左右に寝かせていた。荒れた板屋の隙間から月の光が漏れて幼子の顔に当たるのが、たいそう不吉に思われたので、袖で覆い、もう一人をもかき寄せて思いに沈む。
四十九日が過ぎたころ、親族の人のもとから、亡き姉が必ず手に入れて送ってほしいと言っていたので探したが、その折には見つけられなかった、それを今になって人が送ってきたのが悲しい、といって『かばねたづぬる宮』という物語が届く。作者はまことにあわれなことだと思い、返事に一首を書き送る。
姉の乳母であった人が、今はもうここにいる理由もありません、などと泣く泣く実家に帰っていくので、作者は歌を贈り、亡き姉の形見にどうかとどまってほしいと書き添える。乳母からは、硯の水が凍って何も書きとどめられません、という返事が来たので、作者はさらに一首を言い送り、乳母がそれに返す。
この乳母は姉の墓所を訪ね、泣く泣く帰っていった。作者はそれを聞いて一首を詠み、これを聞いた継母であった人が返し、『かばねたづぬる宮』を送ってきた人も一首を寄せ、それを見た兄も、姉の葬送の夜のことを思って一首を詠む。
雪が幾日も降り続くころ、作者は吉野山に住む尼君のことを思いやって、さらに一首を詠む。
作者は菅原孝標女。姉は同じ家で物語を読み合った人で、この年、子を産んで世を去った。残された幼い姪たちは、その形見である。乳母なりし人は姉の乳母、継母なりし人は父孝標と別れてよそに移った、もと宮仕えの女性である。せうとは作者の兄で、姉の葬送に立ち会った。『かばねたづぬる宮』は現在は伝わらない物語で、通っていた女を失った貴公子がその屍を探し求め、見つけられずに世をはかなんで出家する筋であったと伝えられる。
乳母が姉の墓所を訪ねたことが伝えられたころ。継母なりし人のもとから寄せられた歌である。
作者の「昇りけむ野辺は煙もなかりけむいづこをはかとたづねてか見し」を聞いて詠まれた返しである。
これに続いて『かばねたづぬる宮』を送ってきた人が「住みなれぬ野辺の笹原あとはかもなくなくいかにたづねわびけむ」を寄せ、さらに兄が加わって唱和となる。
初句「そこはかと」は、そこが確かにそれだと、の意で、作者の歌の「いづこをはかと」を受け、「はか」の語をそのまま取り込んでいる。第二句「知りてゆかねど」は、はっきり知って行ったのではないけれど、の意。「ねど」は打消の助動詞「ず」の已然形に逆接の接続助詞「ど」がついた形である。第三句「先に立つ」は、何よりも先に出てくる、の意で、下の「涙」にかかる。第四句「涙ぞ道の」の「ぞ」は強意の係助詞で、結びは結句「しるべなりける」の連体形。「ける」は気づきの詠嘆である。目印を知らずとも、あふれる涙こそが道案内であったのだ、と答えており、作者の問いに正面から解を与える形の返しになっている。「そこはかとなし」という慣用の言い方を逆に用いて「そこはかと知る」としているところに工夫があり、梅の贈答を最後に日記から姿を消していた継母が、ここで一度だけ歌によって現れる場面でもある。
先に立つ:何よりも先に出てくる
しるべ:道案内。手引き
- 出典
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更級日記
- その他の歌
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