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初瀬川たちかへりつつ訪ぬれば
杉のしるしもこのたびや見む

歌の意味
初瀬川の波が立ち返るように、たびたび立ち返って訪ねて来たのだから、あの杉のしるしも、このたびは見ることができるだろうか。
鑑賞
第三十段 物詣での生活

 二、三年、四、五年と隔てたことを順序もなく書き続けるので、まるで続けざまに旅立つ修行者のようだが、そうではなく、年月を隔ててのことである。
 春ごろ、鞍馬に籠った。山際が霞みわたってのどかななか、山の方からわずかに野老などを掘って持って来るのも趣がある。出る道は花もみな散り果てていたので何ということもなかったが、十月ごろに詣でると、道中の山の景色はこの時季こそがはるかにまさるものであった。山の端は錦を広げたようで、たぎって流れる水は水晶を散らすように湧き返るなど、どこよりもすぐれている。詣で着いて僧坊にたどり着いたころ、時雨に濡れた紅葉が比べるものもなく美しく見えた。作者はそれに寄せて一首を詠む。
 二年ほどして、また石山に籠ったところ、夜通し雨がひどく降る。旅先は雨がやっかいなものだと聞いて蔀を押し上げて見ると、有明の月が谷の底まで曇りなく澄みわたっており、雨と聞こえたのは木の根から水の流れる音であった。作者はそれに一首を詠む。
 また初瀬に詣でると、初めのときに比べてこの上なく心強い。所々でもてなしを受けなどして先へも進めない。山城の国の柞の森などは紅葉がたいそう美しいころである。初瀬川を渡るときにまた一首を詠み、そう思うのもたいそう頼もしい。
 三日籠って退出すると、いつもの奈良坂の手前では、このたびは一行が大人数なので小家に泊まることもできず、野中に仮の庵を作って据えたので、人はただ野に座って夜を明かす。草の上に行縢などを打ち敷き、その上に筵を敷いて、ごく頼りない支度で夜を明かす。頭にもしとどに露が置く。暁方の月がたいそう澄みわたって、この上なく趣深い。そこでもう一首を詠んだ。

 作者は菅原孝標女。鞍馬は京の北にある鞍馬寺、石山は近江の石山寺、初瀬は大和の長谷寺、柞の森は山城の国にある歌枕である。「杉のしるし」は、以前の初瀬参籠の暁に、稲荷から賜る験の杉だと言って何かを投げ出される夢を見たことを指す。

 紅葉の美しいころ。大和の初瀬川を渡るところである。

 二度目の初瀬詣でとなり、最初のときとは比べものにならないほど心強い。その道中で初瀬川を渡ったことが、この歌の直接の契機である。

 独詠であり、返歌は記されていない。そう思うのもたいそう頼もしい、と地の文は続け、三日の参籠ののち、奈良坂の手前の野中で夜を明かして「ゆくへなき旅の空にもおくれぬは都にて見し有明の月」を詠むことになる。

 初句「初瀬川」は大和の長谷寺のかたわらを流れる川で、地名を据えて場を示す。第二句「たちかへりつつ」は、波が立ち返る意と、人が再び訪れる意とを兼ねた掛詞で、「初瀬川」が「たちかへる」を導く序のようにも働いている。「つつ」は反復を表す接続助詞で、幾度も、の意を添える。第三句「訪ぬれば」の「ば」は已然形に付いて順接の確定条件を表し、こうして訪ねて来たのだから、となる。第四句「杉のしるしも」は、以前の参籠の暁に、稲荷から賜る験の杉だと言って何かを投げ出される夢を見たことを指し、その霊験のしるしをいう。結句「このたびや見む」の「たび」は、度数の「度」と旅の「旅」とを掛けた掛詞で、「や」は疑問の係助詞、「む」は推量の助動詞である。地名と掛詞だけで、繰り返し参ってきたという事実と、今度こそという期待とを一首に収めており、地の文が「と思ふもいと頼もし」と結んでいるとおり、願いのかなうことを疑わない調子になっている。第二十一段の鏡の夢や、第二十段の清水の夢を、心にとめないままにしていた若い日と比べると、この歌の作者は、夢のしるしを進んで待つ側に移っている。

初瀬川:大和の長谷寺のかたわらを流れる川
たちかへる:波が「立ち返る」意と、人が再び「立ち返る」意とを兼ねる
しるし:霊験。神仏のあらわす効験
たび:度数の「度」と旅の「旅」とを掛ける
柞(ははそ)の森:山城の国にある歌枕
設(まう)け:もてなしの用意
作者
菅原孝標女
出典
更級日記
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