荒磯はあされど何のかひなくて
うしほに濡るる海人の袖かな
- 歌の意味
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荒磯はいくら漁っても何の貝もなく、何の甲斐もなくて、潮に濡れるばかりの海人の袖であることよ。
- 鑑賞
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第三十一段 同じ心なる人
何ごとも思うにまかせないことはないままに、このように遠く離れた物詣でをしても、道中を趣深いとも苦しいとも感じることで自然と心も慰められ、それでも頼もしく、さしあたって嘆かわしいと思うこともないままに、ただ幼い人々を早く思うように育て上げて見たいと思うにつけ、年月の過ぎていくのがもどかしく、頼みとする夫さえ人並みの喜びをしてくれたら、とばかり思い続ける心地は、頼もしいものであった。
昔たいそう親しく語らい、夜も昼も歌などを詠み交わした人が、年月を経てからは昔のようではないものの、絶えず便りをやり取りしていたところ、越前守の妻となって下ったきり音沙汰がなくなった。作者はやっとつてを尋ねて歌を贈り、返しが届く。
三月の初めごろ、西山の奥にある所へ行った。人影も見えず、のどかに霞みわたっているなかに、しみじみと心細く、桜の花ばかりが咲き乱れている。作者は一首を詠む。
夫婦の仲がわずらわしく思われるころ、太秦に籠っていると、宮で親しくしている方のもとから手紙があり、その返事を書いているうちに鐘の音が聞こえたので、一首を書き添えて送った。
うららかにのどかな宮で、同じ心の人が三人ばかり、物語などをして退出したその翌日、所在ないままに恋しく思い出されるので、二人に宛てて一首を贈ったところ、一人が返し、もう一人も返した。
同じ心で、このように歌を言い交わし、世の中のつらいこともうれしいことも互いに語り合う人が、筑前に下って後、月がたいそう明るい夜、こういう夜には宮に参ってその人と会えば少しもまどろまず眺め明かしたものを、と恋しく思いながら寝入った。宮で参り合って、現実のようにその人といると見て、はっと目が覚めると夢であった。月も山の端近くなっている。覚めなければよかったのに、といっそう眺められて、一首を詠む。
作者は菅原孝標女。「頼む人」は夫の橘俊通。「幼き人々」は作者の子どもたちである。越前守の妻となって下った人、宮で親しくしていた人、同じ心の人三人、筑前に下った人については、いずれも原文に名も素性も記されていない。越前は北陸の国、白山は加賀と越前とにまたがる山、太秦は京の広隆寺、筑前は九州の国である。
三人が宮で語り合った翌日。作者からの歌に対する返しである。
作者が「袖ぬるる荒磯浪と知りながらともにかづきをせしぞ恋しき」と贈ってきたことが、この歌の契機である。
この返しに続いて、もう一人が「みるめ生ふる浦にあらずは荒磯の浪間かぞふる海人もあらじを」と詠み、三首で一組のやり取りになる。
初句「荒磯は」は作者の歌の「荒磯浪」をそのまま受ける。第二句「あされど何の」の「あさる」は餌や獲物を探し求めることで、宮仕えに励むことにあたる。「ど」は逆接の接続助詞。第三句「かひなくて」の「かひ」は、努力の効果をいう「甲斐」と、海で採る「貝」とを掛けた掛詞で、この一語が歌全体の要になっている。第四句「うしほに濡るる」の「うしほ」は海の潮で、濡れるのは涙でもある。結句「海人の袖かな」は体言止めで、「かな」は詠嘆の終助詞。作者が、つらいと知りながらともに潜ったことが恋しいと述べたのに対し、こちらは、いくら潜っても甲斐がなかったと応じており、贈られた歌の海の景をそのまま用いながら、宮仕えの報われなさの方へ話を進めている。第二十五段の「いくちたび水の田芹を摘みしかば思ひしことのつゆもかなはぬ」と同じく、努力が報われないことを詠む歌であるが、こちらは相手の歌の語を借りて応じている点が異なる。
荒磯(ありそ):岩の多い険しい磯
あさる:餌や獲物を探し求める
かひ:「甲斐」と「貝」とを掛ける
海人(あま):漁をして暮らす人
- 出典
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更級日記
- その他の歌
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