荒るる海に風より先に舟出して
石津の波と消えなましかば
- 歌の意味
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荒れる海に、風が来るより先に舟を出して、石津の波となって消えてしまっていたならば。
- 鑑賞
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第三十二段 和泉
しかるべき事情があって、秋ごろ和泉に下る。淀というあたりからの道中の、趣深くしみじみとしたさまは、言い尽くせるものではない。
高浜という所に泊まった夜、たいそう暗いなかを、夜が更けてから舟の楫の音が聞こえる。尋ねさせると、遊女が来たのであった。人々は興じて舟を漕ぎ寄せさせる。遠い火の光に、単衣の袖が長く垂れ、扇で顔を隠して歌をうたっているのが、たいそうしみじみと見える。
翌日、山の端に日がかかるころ、住吉の浦を過ぎる。空も海も一つに霧がかかり、松の梢も海の面も、波の寄せて来る渚のあたりも、絵に描いても及ぶはずのないほど趣深い。作者は一首を詠み、眺めながら綱手を引いて過ぎるあいだ、何度も振り返られて、見飽きることがない。
冬になって京へ上るとき、大津という浦で舟に乗ったところ、その夜、雨風が岩も動くほどに降り吹き、雷まで鳴りとどろき、波の立ち来る音、風の吹き乱れるさまの恐ろしさに、命もこれまでと思い惑う。丘の上に舟を引き上げて夜を明かす。雨はやんだが風はなお吹いて舟を出さない。あてどのない丘の上で五、六日を過ごす。ようやく風が少しやんだころ、舟の簾を巻き上げて見渡すと、夕潮がひたすら満ちに満ちて来るさまも、待つ間がないほどで、入江の鶴が声を惜しまず鳴くのも趣深く見える。国の人々が集まって来て、あの夜この浦を出て石津にお着きになっていたら、そのままこの御舟は跡形もなくなっていたでしょう、などと言うのが心細く聞こえる。作者はそれに一首を詠んだ。
作者は菅原孝標女。和泉は畿内の国、淀は山城の淀川のほとりの地、高浜
住吉
大津
石津はいずれも和泉
摂津の海辺の地名である。遊女、国の人々については、原文に名も素性も記されていない。
冬。和泉から京へ上る途中、大津という浦の丘の上である。
国の人々が集まって来て、あの夜この浦を出て石津にお着きになっていたら、そのままこの御舟は跡形もなくなっていたでしょう、と言うのを心細く聞いたことが、この歌の直接の契機である。
独詠であり、返歌は記されていない。この歌をもって和泉の旅の記述は閉じられ、次の段では夫の任官と下向が語られる。
初句「荒るる海に」は字余りで、荒れ狂う海に、の意。第二句「風より先に」は、風が吹き出すより先に、の意で、国の人々が語った、あの夜出ていたら、という仮定をそのまま受けている。第三句「舟出して」は舟を出して。第四句「石津の波と」は、石津の沖の波となって、の意で、人が波そのものに変わるという言い方である。結句「消えなましかば」の「な」は完了の助動詞、「まし」は反実仮想の助動詞で、「ましかば」は、消えてしまっていたならば、と条件だけを述べて言いさす形になる。本来なら「まし」で結ぶべき帰結の部分が置かれておらず、その先が言われないまま切れているところに、この歌の要がある。助かった安堵を述べるのではなく、助からなかった場合を仮定してそこで止めるという構えであり、聞いた話の恐ろしさが、そのまま言葉の途切れとして残されている。第三十段の「ゆくへなき旅の空にもおくれぬは都にて見し有明の月」が旅の心細さを月によって慰めたのに対し、こちらは慰めを持たない。
荒る:荒れ狂う
石津:和泉の海辺の地名
国の人々:その国の役所に勤める人々
- 作者
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菅原孝標女
- 出典
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更級日記
- その他の歌
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