鶯もごもなきものやおもふらむ
みなつきはてぬ音をぞ鳴くなる
- 歌の意味
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鶯も、終わる時のない物思いをしているのだろうか。六月になっても尽き果てない声で鳴いているようだ。
- 鑑賞
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こうして日を経るうち、その月の末に小野の宮の大臣が亡くなられたといって、世は障りがあって騒がしいので慎むといって来られない。喪服になったからこれらを早く仕立てて、と言ってよこした。あまりのことなので、このごろ仕立てをしている者たちを里へやると言って帰した。これにもまして心やましいありさまで、まったく言伝てもない。そのまま六月になった。こうして数えると、夜逢わないことは三十日あまり、昼見ることは四十日あまりになった。たいそう急なことで、不思議だと言っても足りない。思うようにならない仲とはいいながら、まだこれほどの目は見たことがなかったので、見る人々もおかしなことだ、珍しいことだと思っている。ものも考えられないので、ただ物思いに沈むばかりである。人目もひどく恥ずかしく思われて、落ちる涙を押し隠しながら臥して聞くと、鶯が長く引いて鳴く。それにつけて心に浮かんだのがこの歌である。
作者は藤原倫寧の娘。兼家は藤原師輔の三男で、のちに摂政関白太政大臣に至る。小野の宮の大臣は原文が邸の名と官職で示す人で、名は記されない。底本の傍注は藤原実頼とする。
天禄元年六月のことで、場所は作者の住まいである。
夜逢わないことは三十日あまり、昼見ることは四十日あまりになった。ものも考えられず、人目も恥ずかしく、落ちる涙を押し隠しながら臥していると、鶯が長く引いて鳴く。それにつけて心に浮かんだ歌である。
誰かに贈られたものではなく、心のうちにとどまった。このあと作者は、心を晴らしがてら祓えをしようと唐崎へ出かけることになる。
初句の「鶯も」の「も」は、自分と同じように、という含みを持ち、鳥を我が身の側へ引き寄せる。二句の「ごもなきもの」の「ご」は期、すなわち終わりの定まった時のことで、いつ終わるとも知れない物思いをいう。前の雪の歌で用いた語がここでも働いており、消える時期のない身と、終わる時のない物思いとが同じ語で結ばれる。三句の「おもふらむ」は推量で、鳥もそうなのだろうかと問う形。四句の「みなつき」は水無月、すなわち六月であるとともに、皆尽きという意を掛けた語で、この一語が歌の要にあたる。鶯は春の鳥であるから、六月に鳴くこと自体が時季外れであり、その異常さが、三十日四十日という異常な絶え間と重なる。結句の「音をぞ鳴くなる」は「ぞ」の結びで、伝聞の「なる」が、臥したまま声だけを聞いている姿を示す。目にするものを何も持たず、耳に入る声だけで一首を立てている点に、この時期の作者の様子がよく出ている。
みなつき:「水無月」に「皆尽き」を掛ける。
ご(期):時期。終わりの定まった時。
をりはふ:声を長く引いて鳴く。
- 作者
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藤原道綱母
- 出典
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蜻蛉日記
- その他の歌
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